〜 四国中央市・霧の森 〜
最近よく雨が降るので天気予報を気にかけていましたが・・・やっぱり雨 !!
今回のウォーキングコースは「 志の道 」傘をさしてのウォーキングとなり
ましたが、名物の「 霧の森大福 」買って帰りました。
7:15 大西支所 出発。
7:54 クアハウス今治 到着。トイレ休憩。
出発時間までそれぞれのバスで待ちます。
ワイパーが作動していないので・・・・・・・・・・・・・・・
8:37 今治湯ノ浦 IC。
8:56
八堂山トンネル出口。トンネルの上は市民の森・西条市考古歴史館があります。
9:13 〜 9:25 入野パーキング。
入野パーキングと上分パーキングに分かれて トイレ休憩。
9:50 神宮インターチェンジ。
「 志の道 」上の山に向かって、約2Km 続く人間回復の道です。
美しい自然の中で、小さく凝り固まった心を解き放ち山里の豊かな人情に
触れて、心を和ませ、石碑に刻み込まれた多くの志の言葉との対話を通し
生きる勇気を取り戻してほしいと願ってつくられたコースです。
松下幸之助lの石碑
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、
他の人には歩めない。
自分だけしか歩めない、
二度と歩めぬかけがえのないこの道。
- 松下幸之助 -
吉田松陰の石碑
志が一度確立すれば
人に求めたり
世の中に願ったりすることも無く
断固として
一人でも楽しみながら実行する
- 吉田松陰 -
徳増須磨夫の石碑
培えば
大輪の花ひらく
咲こうとすれば
焦らず
根を張ることだ
- 徳増須磨夫 -
『史記』 陳渉世家の石碑
燕雀
いずくんぞ
鴻鵠の志を
知らんや
『史記』
- 陳渉世家 -
道沿いには「 新成新四国八十八ヶ所 」 の札所がお祀りされています。
佐藤一斎の石碑
少くして学べば
壮にして為すあり
壮にして学べば
老いて衰えず
老いて学べば
死して朽ちず
- 佐藤一斎 -
ここが3Kmコースゴール地点 ( 5Kmは宝乗寺前がゴール地点
でしたが雨天の為ここまで ) Uターンします。
伊庭貞剛の石碑
一言青年に告げて置きたいと思う事は、経験に盲従してはならぬが、
経験はあくまで尊重しなければならぬ。
殊に少壮気鋭に任せて、成功を急いではならぬ。今の時勢では順序を
履んで進むものでなければ、決して成功しない。
頭ばかり先へ出ようとすると足もとが浮く。急ぐと無理が出る。
手ぬかりが出来る。不平が起る、人の悪口をいう、人の悪口をいうのは
天に向って唾するようなもので、禍はつまりわが身に来るものである。
早く楽をしたいというような考えでなく、ある一つの目的を確乎と握って、
一代で出来ねば、二代でも、三代でも懸けてやる位の決心で、一生懸命に
人事を尽すなら、成功は天地の理法として自然に来るものである
- 伊庭貞剛 -
勝海舟の石碑
事の成るは
難苦の時に在り
人の敗るるは
多く得意の時に在り
- 勝海舟 -
( 石碑が雨に濡れ文字が読み取り難い )
長い列が・・・・・・‥・・・・・・・・‥・・・・・・‥・・・・・・・・‥・・
馬立本陣
土佐藩が六代藩主山内豊隆候の享保三年(1718年)から十六代藩主
山内豊範候の分久二年(1862年)までの間に渡り、参勤交代の際に本陣
としていた屋敷跡。
建物は明治30年の火災で消失してしまったが、約1000平方メートル
にも及ぶ敷地は石垣の上に高さ1.8mのじゅうがんを備えた土塀で囲まれ
ており、内側は御殿、藩士宿所等のほか、駕籠が50丁並ぶほどの広大な
庭があったと言われている。
正門は明治初期に金川村(市内金田町)の円徳寺に移築されていたものが、
昭和58年に返戻され元の場所に復元されたものであり、石垣と並び当時の
面影を残している。
なお、正門までの登りは現在石段であるが、当時は勾配がもっとゆるく、
たたきであった。 四国中央市教育委員会
神宮街道観音
観音像の高さは、台座込6m、平成3年( 1997 ) 新宮村の歴史に因んで
観音文化の象徴として設置されました。設置後に政教分離に反するとして
住民訴訟が起き、村長が敗訴しました。当時は、全国放送の報道特集でも
取り上げられたそうです。
13:01 今治湯ノ浦 IC。
13:05 クアハウス今治 到着。
本日の歩いた距離 ‥‥ 8422歩。 歩いた歩数 ‥・・ 6.4 Km。