王至森 ( おしもり ) 寺の 金木犀( キンモクセイ ) は、秋の実りをもたらす 「 黄金の花 」
として珍重され 「 国指定天然記念物 」・「 かおり風景百選 」にも認定されています。
2011年4月6日 「 新四国曼荼羅霊場 第三十一番 法性山 王至森寺 」参拝の時は桜の季節
でした。秋にもう一度と思っていたところ、今回のウォーキングが 王至森寺、何とラッキー
な事と喜んでいましたが残念、まだ少し早かった様です。
7:55 大西支所集合予定
7:45 2号車 到着、車内にて受付
7:51 太西支所 出発
8:48 クアハウス今治 出発。
国道196号線 道の駅 今治湯ノ浦温泉前信号を左折
国道196号線 ( 今治街道 ) 。左は、河原津海岸。右側は、今治小松自動車道
今日は石鎚山も雲の中
9:08 国道196号線 ( 今治街道 ) から、国道11号線 ( 小松街道 ) ・
三島神社前の讃岐街道を横断
9:11 小松中央公園 第1駐車場 到着 トイレ休憩 ( 先行の2台 )
トイレは三ヶ所、階段を登った左側・憩いの場・ちびっ子広場向こうの管理棟
にもあります。
9:36 国道11号線 ( 小松街道 ) こまつ橋
9:45 西条市立神戸小学校前。秋季大運動会の様です。
「 心を一つに 優勝だ 平成 最後の 運動会 」と校舎の窓に貼っていました。
レグザム西条工場 駐車場 ≪ 5km・3km共通スタート ≫
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10:28 王至森寺 参道口
正面に「 法性山 王至森寺 」の山門
2011年1月22日 新四国曼荼羅霊場 第三十一番札所 王至森寺 参拝。
2012年4月6日、新四国曼荼羅霊場 第三十一番 法性山 王至森寺 参拝
↑ 上クリックしてください。
かおり風景百選の碑
「かおり風景百選」認定書
かおり風景の名称 西条王至森寺の金木犀
所在地 愛媛県 西条市
右は良好なかおり環境保全上特に意義があるものと認められるので
ここに「かおり風景百選」の一つとして認定します。
平成13年11月12日
環境大臣 川口順子
国指定天然記念物 < 王至森寺のキンモクセイ >
昔よりキンモクセイの香りにのって西条祭りがやってくると言われ親しまれています。
秋の実りをもたらす「 黄金の花 」として珍重され開花時には枝一ぱいに星のような
花をつけ一里四方 ( 四Km) にその高貴な香りを漂わせ王者の風格を見せてくれます。
昭和ニ年日本で最大の巨木として 国の天然記念物に指定され 高さ 十六メートル
根回り 四メートル・樹齢は推定 数千年 開花時期は九月下旬〜十月上旬
〇 終戦後 昭和天皇陛下 四国行幸の際 キンモクセイの写真を天覧に供す。
〇 昭和二十一年二月二十二日 植物学の権威者 ( 東京帝国大学教授 ) 本田正次博士が
視察のため来寺 日本一の大木と示される 当寺
まだキンモクセイの花は咲いていませんでした残念 ‥・・・・・・‥‥ !!
本堂
新四国曼荼羅霊場 第三十一番 法性山 王至森寺
略縁起 その昔、舒明天皇が道後温泉へ行幸の途中、燧灘で暴風雨にあわれ、
遥かに霊光が射して船を導き、この地に着けられた故事に因み、
「王の至る森の寺 王至森寺」と称した。以来法灯連綿として輝き今に至っている。
鎮守法性大権現は、別の名を大威徳明王と申し、牛に跨り忿怒の相を現わした
慈と威の仏体で、古くから経験を信ずる者が跡を絶たず。多くの伝説がある。
有名な伝説は、森の木を小松藩御庫屋敷の建築用材に使ったところ、毎夜
「 帰りたい ! 」と泣くような音がするので、川口に流すと 現西条市 戻川に
流れ着いた。と言われています。
境内
左から、法性大権現性 鎮守堂への石段。中央、大僧正 大憲上人像。右側、大師堂
王至森寺のサンシュユ
大師堂横に「 旧西条市 名水銘木50選 」に選ばれている 王至森寺の山茱萸 ( サンシュユ)
が春先の三月可憐な黄金色の花をつけ、秋には赤い実をつけます。
王座石
はるか昔に舒明天皇(じょめいてんのう)が道後温泉へと向かう際に燧灘(ひうちなだ)で
暴風雨に遭い、森の中にあったこの寺院で難を逃れたことから王が至った森の寺と名付け
られた「王至森寺」と言われる伝説が残されています。
王至森寺の参道を出て右折。
右斜め下に ➁ 天皇さんの泉 正面に ③ 素鵞神社 左に ④ 天皇庵
➁ 天皇さんの泉
西条市名水・名木50選
天皇さん(素鷹神社)の大杉の根元から一年中かれることなく、清水が湧き出て
います。この水の受け皿として天皇池があり、農業用水として利用されています。
夏季には、すぐ近くにあるみんなの広場やゲートボール場の子どもやお年寄りの
飲み水にももなっています。 平成三年三月制定
湧き水は天皇池に・・・・・・・・・・
天皇さんの泉から素鵞神社へ。
③ 素鵞神社
神社由緒 文化10年11月24日改築の棟札がある。古くから牛頭天皇宮と称え
天皇庵の庭前にあったのを同年に奉遷した。
石段の前で お参り ( 進路マークに沿ってUターン )
参道脇の大銀杏 ( オオイチョウ ) の木。
木のまわりにはもうギンナンの実が・・・・・・・・・・・・・・
上室川橋より、川下の橋は 室川橋 ( 国道11号線が通っています )
⑤ 西原の大地蔵 残念 地蔵堂がピンボケ !!
⑥ 六地蔵の接待堂跡
旧接待堂・六地蔵・お大師堂の由来について
弘仁六年 ( 八一五年 ) 弘法大師 ( 空海 ) 様によって開かれた、四国八十八ヶ所霊場は、
一六七〇年代 ( 室町時代 ) に霊場巡拝の習わしが確立したと言われています。
四国八十八ヶ所霊場は、発心の道場 ( 徳島連の一番札所霊山寺から二十三番札所薬王寺
まての二十三ヶ寺) 修行の道場 ( 高知県の二十四番札所最御埼寺から三十九番札所延光寺
までの十六ヶ寺) 菩提の道場 ( 愛媛県の四十番札所観自在寺から六十五番札所前神寺まで
の二十六ヶ寺 ) 涅槃の道場 ( 香川県の六十六番札所三角寺から八十八番札所大窪寺までの
二十三ヶ寺 ) を結ぶ全長一四四〇キロメートル( 三六五里 ) に及ぶ 長い巡拝の旅であります。
今日もまた人生の苦しみを背負った人、迷いを持った人、本当の自分を探し求めている人
たちが心の癒される場所、心のより所を求めて、お大師様と共にたくさんの方が巡拝の旅を
されています。
この大師堂は江戸時代の中頃 ( 一七八〇年頃 ) 巡拝が盛んであった時代に、信仰厚き地元
の先人たちが、浄財を持ち寄り旅人のひときの憩いの場所・休息の場所として、接待堂を建立
し旅人を接待したといわれています。
その接待堂の側に、旅人が悟りを得て煩悩 ( 身勝手な欲望 ) を捨て御仏の心に触れ無事結願
されることを願い、また行く旅先での安全を祈って六地蔵さんを、お大師様の休息の場所として
大師堂を建立し、お祀りをいたしました。
時が流れ接待堂を訪れる人も少なくなり建物も老朽化し消滅いたしましたが、六地蔵さんと
お大師堂は信心深き先人たちによって、部落の守り神として大切に守られ、お祀りされ現在に
いたりました。
この歴史のあるお大師堂も昭和五十年 ( 一九七五年 ) 頃に改築いたしましたが、傷みが激しく
改築の時期がまいりましたので、現世を生きる私たちは、御仏と先人たちの御心を大切に相続し
その証として、心ある有志と巡拝のお遍路さんの暖かい心のこもった浄財によって、立派に平成
の改修を終えることができました。
人間性を失いつつある昨今の社会状況に心がいたみます。私達のささやかな行為が心豊かな
社会の建設に少しでもお役に立つことができればと願ってやみません。
「 人生は遍路なり・・・・・・・・・・・・・・」
平成十六年八月吉日
お大師堂改修発起人一同
お大師堂横「 旧接待堂・六地蔵・お大師堂の由来について」の説明板より
ブロック塀の先が 3kmコース・5kmコース 分岐点。
マップでは ⑦ 今宮神社 ( 西大道 ) が分岐点へ来るまでにあったはず見逃がした !!
⑨ 半田のおじぞうさん前を右折すると道路沿いに⑩ 祇園神社があります。
⑨ 半田のおじぞうさん
⑩ 祇園神社
⑧ 今宮神社 ( 東大道集会所前) から左回りで・・・‥・・・・・・‥‥ 今宮神社正面へ。
JA西条 飯岡支所 ≪ 3km・5km 共通ゴール ≫
11:38 JA西条 飯岡支所 出発。
11:58 西条市市民の森 到着 ( 昼食休憩 )
西条市考古歴史館
12:18 約7分、大急ぎでとっても鮮やかで美しい
パンフラワーの数々を見せていただきました。
12:29 考古館を後に最初に乗ってきたバス ( 私は2号車 ) に。
12:39 西条市考古歴史館前 出発。
12:46 国道11号線より。
13:05 国道196号線 萠口橋( もえくちはし ) 沿い歩道橋のタヌキのオブジエ。
16:13 大西支所 到着。
本日の歩いた距離‥・・・ 7.8Km。 歩いた歩数‥・・・10741歩。