史談会研修旅行 ( 薬王寺・大浜海岸・御厨人窟 ) 他   

   徳島 ( 薬王寺・大浜海岸 ) ~ 高知 ( 御厨人窟最御崎寺 )他

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  史談会研修旅行 ( お城巡り ) も 今年で8回目を迎えました。
  2014年2014年9月28日、史跡 竹田城跡。2015年9月27日、国史備中松山城
  2016年9月25日、国宝 松江城。 2017年10月1日、日本初の世界文化遺産 姫路城。
  2018年10月28日、 岡山城。 2019年10月27日、彦根城。昨年はコロナ過等で心配
  されましたが、2020年10月、和歌山城へ。  今年の日和佐城は、車窓からと薬王と
  の瑜祇塔前展望所より眺めることになりました。

 

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  瑜祇塔まえ展望所より。

 

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     6: 15     大西支所 集合   参加者人数 27名
    6: 30  大西支所 出発   運転手さん紹介 ( 田坂真也・川口 清 ) さんの
                  お二人です。今日一日宜しくお願いします。
     7:  02  今治湯ノ浦IC

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    7: 09  研修旅行資料 ( 薬王寺・大濱海岸・御厨人窟室戸岬灯台他 )予習
        1、義経騎馬像。  2、薬王寺。  3、日和佐城。  
        4、大浜海岸 ( うみがめプール )  史談会村上勝正会長のお話等。

       

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  7: 30 ~ 7: 45  入野パーキング  ( 休憩 ) コンビにあり。   

 

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     村上会長よりお菓子のお接待がありました。

 

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  高速道路車窓より、昨夜の雨も何とか上がったようです。

 

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    車窓より四国八十八ヶ所第八番札所熊谷寺仁王門が見えました。

 

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  8:55  上坂サービスエリア 到着  

 

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  上坂サービスエリア駐車場からの風景

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  9: 10  上坂サービスエリア 出発

 

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  徳島ICを出る。

 

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  9:  42  車窓より旗山山頂の義経騎馬像を眺める。 

           義経騎馬像

 小松島市芝生町には、「 旗山 」と呼ばれる小山があり。源平合戦の折、屋島の平家軍を
討伐するため寿永4年 ( 1185 ) 2月18日、源義経の軍勢が勝浦尼子ヶ浦 (現在の小松島市)に
上陸した。その折、この「旗山」の山頂に源氏の城旗を掲げ兵士の士気の高揚を図ったと
伝えられている。まさに「旗山」の語源である。現在山頂には日本一の高さを誇る6.7m
義経騎馬像が建てられ、夜はライトアップされいてる。第18番恩山寺の山並みを背景に
した雄姿は見事な歴史的農村景観です。 

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   遠すぎてハッキリと見ることは出来ません ( 何時か、旗山へ登ってみたいものです )

 

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  あっという間に通り過ぎてしまいました

 

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  10 : 37  車窓より日和佐城を眺める。

            日 和 佐 城

   室町時代後期 戦国時代の元亀・天正時代 ( 1570年頃 ) 、日和佐の豪族・日和佐
  肥前守が、阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐために、この地に城を
  築いたと伝えられる。現在 標高65mの城山の頂上には、4階建ての天守閣がたっ
  ている。

 

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  10 : 39  薬王寺駐車場 到着。

 

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  案内人と合流

 

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駐車場から見える日和佐城            観光ボランティアガイド会 日和佐 
                      手前より( 岸さん、井上さん ) その後ろに
                      ホタル村ガイド ( カッパのげんさん )

 

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         弘法大師厄除け祈願所

   薬王寺は、神亀三年 ( 726 )、行基菩薩が、聖武天皇の勅願を受け、この地に
  巡錫し、一寺を建立された。 弘仁六年 ( 815 )、弘法大師が、天城天皇の勅命に
  よって本尊厄除け薬師如来を刻んで開基なさった。
   当寺は、厄除け根本御祈願所として、全国にその名を知られている。
  また、高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇淳和天皇は厄除けの祈願を願
  われ、土御門上皇は嘉禄二年皇居として行在せられた。そして後嵯峨天皇は寛元
  元年当山の伽藍の再建をして、仁助親王落慶の法掟に入られたと伝えられている
                    四国第二十3番霊場 別格本山 薬王寺

 

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  仁王門
  入母屋造り、本瓦葺 三間一戸 8脚門。
  天保六年 (1835 ) 建立  大工・槌谷悦蔵の作。
  両脇後方に仁王像を配置する。 平成24年解体修理。 

 

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金剛力士像  【 吽 形 像 】              【 阿 形 像 】

 

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  参道 ここは、吉川英治の小説鳴門秘帳の舞台になったところです。

  

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   吉川英治 鳴門秘帳 舞台の寺 記念碑  

 

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  厄坂 お賽銭をあげながらお参りするとむ、身に降りかかる厄が落ちるという。

 

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        女厄坂 33段

             絵 馬 堂

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  大香炉
  絵馬堂にある大香炉は昭和34年のもので、当寺の檀家であった、福岡・徳島水産
  社長、徳島喜太郎氏の寄進である。

 

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石臼                    
絵馬堂に据えてある石臼は真言を唱えつつ入れてある香を杵をもって自分の年の数だけ    
つけば、身・口・意の三業の罪悪を破滅し無病が得られると伝えられる。

 

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         男厄坂42段を上ると・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  本堂前へ

 

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  本堂
  文治四年 ( 1188 ) 堂宇全焼す。
  寛永十六年 ( 1639 ) 江戸前期、本堂その他殆んど全焼す。
  明治三十一年八月 万丈 庫裡 護摩堂、仮薬師堂焼失。
  第十八世 実善代。
  現在の本堂は、 明治41年の建立。

             

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           御本尊  厄除け薬師如来

 

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  左回りに本堂裏の奥殿へ。

 

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              奥 殿

   「後ろ向き薬師」の由来、文治四年 ( 1188年 )火災により堂塔を焼失、
   この時に本尊は奥の院の王厨子山に自ら飛んで焼失を逃れたという伝説がある。
   その後、後醍醐天皇に寄り堂塔が再建され、本尊が新たに彫られたが、
   元の本尊もこの時飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたとされ
   「後ろ向き薬師」と称される。元の本尊は秘仏となった。
   このために本尊が二体あります。  本堂の裏側からも参拝します。

 

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               肺 大 師
  本堂の裏からラジュウムを含んだ霊水 ( 瑠璃の水 ) が湧き出しており、肺病など
  諸病に効くといわれ、この名がある。
  祠 ( ほこら )の中には石像の弘法大師が祀られ、祠の足元から湧き出す水は枯れる
  ことがない。    

 

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  奥殿・肺大師・本堂と続いています。

 

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  本堂横を通って

 

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  鎮守堂
  山岳信仰として名高い北陸の、白山神社御神体  白山権現をお祀りしています。

 

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    大師堂の横入口から入ると手前に寿老人・賓頭盧尊者が祀られています。

 

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          寿 老 人                 賓 頭 盧 尊 者
阿波七福神霊場の一つ『 富貴長寿の神様 』    十六羅漢の第一尊者
無病息災・厄除け・長寿を授けて下さる神    『 羅漢 』・・・ 煩悩を滅尽して、世人の
様で、財宝に恵まれ地位名誉を得て、健康    供養を受ける資格のある聖者。釈迦の
で長生きさせて下さる。            ▢属として、正法護持の修行者の形で
『 寿老人御詠歌 』               表現されることが多い。
  玄鹿の 命長きに あやかれと       哀僧の造形として食堂に安置されるが 
      杖をつきつつ 世を救う神     文殊菩薩ともいう・徐病の撫仏( なぜ
                       ぼとけ )として、広く寺院の外縁に安
                       置されている。

 

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  大師堂
  宝形造り本瓦葺 四間半四方 文政三年 ( 1820 ) の建立。
  弘法大師座像 〔 天文19年 ( 1550年 ) 造 〕を中心に龍猛・龍智・金剛智・不空・
  善無畏・一行・恵果 ( 各2尺 ) の真言宗八祖坐像をお祀りする。
  両脇には脇士として 持国天毘沙門天〔 各立像三尺・享保九年 ( 1724年 ) 造〕
  ※ 平成二十年解体修理。

 

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    地蔵堂
    入母屋造り 本瓦葺、正面2間 奥行き3間
    地蔵菩薩半迦坐像3尺5寸。 聖観音立像2尺。 
    弥勒菩薩。 不動明王立像2尺をお祀りする。 

 

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  大楠
  日和佐町重要文化財  樹齢600年~700年と推定される。

 

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  本堂前からの風景、JR牟岐線が走っています。

 

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  霊牌堂前を通り還暦厄坂へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  還暦厄坂
  男役坂42段、女厄坂33段。文化5年 ( 1808年 ) 現在の厄坂に改修終了。
  男女還暦厄坂61段。 瑜祇塔落慶時に完成。

 

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          瑜祇塔 ( ゆぎとう )

  昭和38年9月建立 ( 高さ29メール )  本尊 金色五智如来
 昭和39年は弘法大師が四国八十八け所の霊場を開創してからちょうど1150年に当たり、
 また、翌40年は高野山開創1150年に当たるのでこれを記念して建立されたものである。
 瑜祇塔は真言宗所依の経典である。
 瑜祇教の教理を形にあらわしたものであり、経文には世の中のものみな二つの相対した
 ものからできているが、これが一つになることによって、世界の平和や家庭の幸福の
 基礎があると説かれている、天と地が和合して万物が豊となり、労使が相寄って社会の
 平和ともなる道理である。
 瑜祇塔には上方に金剛智慧をあらわす五峯を示し、周囲に胎蔵の倫理の表示である八柱
 を建て、これが不二を示すよう上の方が四角下の方は円筒形の一重の塔となっている。

 

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  瑜祇塔からの風景

 

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    還暦厄坂をおりる・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  鐘楼堂
  現在の梵鐘とも昭和33年2月23日に吊り上げ式。
  毎日、朝6: 00 と 夕5: 00 に  12回撞かれる。
  町内の時報となっている。
  本坊 ( 万丈・庫裡 ) 上納経所と続き、帰り参道へ。

 

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           玄関の衝立  戌寅如春 郁夫

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    帰り参道

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  薬王寺参拝を終え駐車場へ。

 

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  11 : 33  道の駅日和佐へ ( 休憩・買い物 )

 

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    お土産などを購入。

 

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  11 : 48  道の駅日和佐出発、
         大濱海岸うみがめ荘 ( 休業中 ) 駐車場へ うみがめ博物館へは入館しませが、
       うみがめプールは見ることが出来ます。

       

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    ボランティアガイドの岸さんが、これから行く大浜海岸・うみがめプールに
   についてのお話や、途中の 町指定文化財 事任八幡神社の大楠を紹介、わざわざ
   今治市大三島神社まで大楠を見に行ったそうです。熱心ですね。

 

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            大 浜 海 岸

   大浜海岸は白砂が美しい海岸として有名で、1996年には「 日本の渚百選 」にも
  選ばれました。訪れるウミガメの保護のために海水浴などの遊泳はできませんが、 
  海辺の散歩や写真を撮る人々にも人気のスポットです。大浜海岸のある三浜町は
  2009年~2010にかけて放送された NHK の朝ドラ「 ウェルかめ 」の舞台でもあり
  ウミガメの子どもを見かける地元の砂浜として大浜海岸で撮影も行われました。

 

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  48年の歴史を持つ当館 " 国民の宿「 うみがめ荘 」“ は、大浜海岸を目の前に望む
  オーシャンビューの宿です。   当館には、現在の上皇上皇后 ( 美智子さま ) が 
  昭和46年8月3日、皇太子、皇太子妃の時代ご宿泊になり、その部屋は今でも残さ
  れています。正面建物3階左側のお部屋にご宿泊されたそうです。

  次の、日和佐ホタル村は道が狭く大型バスが入れないので現地車両に乗り換えます。

 

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  うみがめプール見学

  

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    12 : 10  現地車両にに乗り換えて、国民宿舎「うみがめ荘」出発。
         ここで、観光ボランティアガイド日和佐の 岸さん、井上さんから
         ほたる村 かっぱのげんさんにバトンタッチします。
         岸さん、井上さん、大変お世話になり有り難うございました。

 

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  かっぱのげんさんの運転で、大浜海岸入口まえを右折、県道5号(  日和佐小野線 ) へ。

 

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  JR牟岐駅前、駅舎は亀の甲羅の形をしています。
  県道25号 ( 日和佐小野線 ) ~ 国道55号 ( 土佐東海道  ) へ。

            ほたる村

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    国道55号線の山河内トンネルを出て、ほたる村えの狭い道路 へ ( 元トラックの
    運転手さん ) 絶妙なハンドルさばきで・・・・ ( ただ対向車が来ないか心配でした )

     

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  途中、JR牟岐線の踏切を渡りほたる村へ。

 

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  12 : 27  ほたる村 到着。

 

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  ほたる村山荘へ。

 

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  昼食 ( それぞれ持参のお弁当をいただきます )

 

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       食事をしながら、かっぱ子さんの皿回しを楽しみます。

 

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    かっぱのげんさんの曲芸は・・・・・・刃を上にしコマを回して・・・・・・・・・・・・

    

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知らぬ間に刀の上に乗っていました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!

 

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  次は素晴らしい太鼓の演奏・・・・・・・・・・・・

 

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    最後は、皿回しの練習です。

 

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  コツをつかんで上手く回していま~す。

 

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  13 : 15  ほたる村出発。

 

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     国道55号 ( 土佐東海道  ) へ出る。  
    

 

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  トンネル前の路側帯で、いずみ観光の大型観光バスが待っています。

 

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  13 : 27  大型バスに乗り換え出発。

 

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     国道55号 ( 土佐東海道  ) 牟岐駅付近を走行中です。

 

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  2:11  海の駅東羊町 到着 ( お土産・トイレ休憩 )。

 

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  白浜海岸

 

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  2: 26  海の駅東洋町出発。

 

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         御厨人窟 ( みくろど )

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  15 : 00  御厨人窟 ( みくろど ) 前 到着。

 

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  弘法大師御修行の地 御厨人窟  石標と みくろど納経所

 

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      左側の御厨人窟 ( みくろど ) 入口へ。

    

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  この御厨人窟で「 虚空蔵求聞法 」の修行をしている時に、口に明星 ( 虚空蔵菩薩
  化身 ) が飛び込んできて、さとりを開いたとされています。
  この時のことは空海の著作「 三教指帰 」に記されています。
  この「 虚空蔵求聞法 」というのは「 一度見聞きしたものを絶対忘れない、無限の
  記憶力を見に付けることが出来る 」とされる真言みっき用の秘法で、虚空蔵菩薩
  真言を100万回唱えるという、大変に厳しいものだそうです。

 

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  鳥居をくぐり抜けて奥まで進むと「五所神社」と呼ばれる社があります。

 

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      「 五所神社
    入口からの明かりのみで薄暗いところですが、左右に大きく広がる空間です。
    洞窟内に滴る水の音や室戸岬の打ち寄せる波の音が聞こえてきます。環境省
     「 残したい " 日本の音風景100選 " 」の一つに「 室戸岬御厨人窟の波音」と
    登録されています。

 

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  御厨人窟 ( みくろど ) を出て ( 残念、逆光で外の景色が )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  右側にある 神明窟 ( しんめいくつ ) へ。

 

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  弘法大師が修行をしていたという神明窟 ( しんめいくつ ) 内部

 

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               神明宮神社殿

 

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           乱 礁 遊 歩 道

   室戸岬周辺 2.6km にわたり遊歩道がつけられています。アコウ、ハマユウなどの
  亜熱帯植物、岩礁に砕け散る荒波、空海ゆかりの場所として、さとりを開いたとい
  われる御厨人窟、行水の池、衆生の眼病を治したと言われる目洗いの池、さらに、
  悲しい伝説がのこされているビシャゴ巖などがあるそうです。 あまり時間が無い
  ので大急ぎで遊歩道へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

           

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  乱礁遊歩道入口

            

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  乱礁遊歩道に沿って左側へ。

 

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  弘法大師行水の池と書かれた標識が根元から折れ岩の上に置かれています。

         マグマでやけどした岩

  ホルンフェルスは「 岩のやけど 」の跡である。1000度を超えるドロドロに
  とけたマグマ ( のちに「 斑レイ岩 」となる ) が砂や泥の地層に 入ると 砂や泥は
  熱せられ、性質が変化して硬くなる。このように高温のマグマに焼かれて性質が
  変わった岩石は「 ホルンフェルス 」と呼ばれる。

  

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          穴 だ ら け の 岩

   海水が岩石にくっつき、水分が蒸発すると塩のかたまりができる。この塩の
  かたまりが大きくなっていくと、圧力によって岩石に小さな割れ目が出来る。
  これが次第に広がってできた穴が タフォニである。この穴がたくさん集まると
  蜂の巣のようにみえる。

 

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             ビシャゴ岩

 約1400万年前、マグマが地層に入り込んで固まった巖 ( 斑レイ岩 ) である。斑レイ岩は
 丈夫で、波が唐あたっても削られにくいので、高くて面白い形の岩が出来る。そのため
 古くから、伝説や言い伝えが残っている。この岩には「 おさご 」という絶世の美女が
 自分をめぐり、若者たちが争ったのを悲しみ身投げしたという伝説がある。

 

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           小 石 が あ け た 穴

    岩石の小さなくぼみに入った小石が、波の渦に巻かれて岩石を削ることで
    できた丸い穴は、ポットホールと呼ばれる。 この穴は水中でできるので、
    地上で穴が見られるのは、地震で土地が隆起した ( 高くなった ) 証拠である。

 

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  エボシ岩へ・・・・・・・・・・・・

 

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            エ ボ シ 岩

    この岩の形が烏帽子 ( 武士や貴族の帽子 ) に似ていることから、エボシ岩と
   呼ばれている。エボシ岩は、マグマがゆっくり冷えて固まった「 斑レイ岩 」と
   いう岩石でできている。室戸がまだ深海にあったころ ( 約1400万年前 ) に、海底
   の地層にマグマが入ってきた。そのマグマが地中深くでゆっくり冷えて固まると
   大きな結晶をもつ斑レイ岩 ができる。
   大きい白い結晶が 斜長石 ( しゃちょうせき  ) 、黒い結晶が 輝石 (  きせき ) である  

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    室戸阿南海岸国定公園 エボシ岩展望台より

 

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               昔 の 海 の 高 さ

  ヤッコカンザシは海面付近に直径数ミリの管状の巣をつくって生息する生物。
  ここでは、高さが異なる2ヵ所にヤッコカンザシの巣がある。その間にはヤッコ
  カンザシの巣はない。 この巣の分析により、下部の巣は約 2700年 ~ 1000年前、
  上部は 2800 年以上前に作られたことが分かった。作られた巣の高さ・時期が異な
  るのは、その間に巨大地震 ( 南海地震など ) による隆起があったことを示している
  このようにして、巨大地震と大地の動きの歴史が明らかになってきた。

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    遊歩道出口へ

 

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  15 : 28  御厨人窟前駐車場 出発。  

 

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  国道55号から右折して室戸スカイラインへ入る

 

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  室戸スカイラインからの風景

 

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  大型バスは、曲がりくねった坂道を登って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  15 : 38  室戸スカイライン展望台津呂山の駐車場 駐車場へ。
      室戸スカイラインの途中にある高岡園地展望台、見学は無料です。

 

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    高岡園地展望台  登り口

 

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  津呂山の山頂に造られているので360度の風景を眺めることが出来ます。
  

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     室戸阿南海岸国定公園説明版
    汚れが酷くてほとんど、小さな字は読み取れない箇所があります。

 

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         カメラスタンドと恋人の聖地

 

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         室戸阿南海岸国定公園

 西海岸は  " 海成段丘 ( かいせいだんきゅう ) "  です。
目の前に広がる  " 海成段丘  "  は、地球規模の気候変動による海面の高さの変化 ( 氷期に下がり、間氷期に上がる ) によって形成されました。さらに繰り返される南海地震
室戸岬が隆起することにより、段丘が地上に現れました。 " 海成段丘 "  は、三段階に
分けられます。① 1946年の南海地震によって隆起した波食台、② 6000 ~ 5000年前の
波食台 ( 国道の走っている段 )、③ 12 ~ 13万年前の波食台と続きます。  現在 ③ では
台地農業が盛んに営まれています。

 東海岸は ④  " 断層崖 ( だんそうがい  ) " です。
海底活断層東海岸に沿って延びています。この断層の運動により陸側が隆起し、急角
度で海に落ちる " 断層崖  " が形成されます。この " 断層崖  "を海洋深層水が上昇してい
ます。この海洋深層水を利用した多くの製品がつくられています。

 

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  急匂配の山が海まで押し寄せる室戸岬東海岸

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  15 : 46  室戸スカイライン展望台津呂山の駐車場より、最御崎寺へ出発。
       この先の室戸岬灯台へは時間が無いので残念ですが行きません。

 

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  14 : 56  最御崎寺駐車場 到着。

 

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           最  御 崎 寺

   修行の道場の始まりは青年大師ゆかりの地。かって無名の青年だった弘法大師は、
  ここ室戸岬で荒磯修行を行った。厳しい修行を経て悟りを開いたとされ、
  多くの不思議な伝説が残っている。
  そんな青年大師のゆかりの地にある最御崎寺は「東寺」の愛称で親しまれている
  室戸岬山頂に建ち、周囲には亜熱帯の植物が生い茂っています。

 

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  迎え大師に手を合わせて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  坂道を上り一番奥の仁王門へ。

 

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  仁王門には、山号「 室戸山 」の扁額が掛けられています。

 

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仁王門正面の金剛力士像【 吽 形  】           【 阿 形  】

 

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仁王門裏側の金剛力士像【 吽 形  】            【 阿 形  】

 

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 本堂へ続く石畳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    最御崎寺中興第丗三世 大僧正  島田信保 像

 

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 「ヤッコソウ」の案内標識がたっています。

 

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         雄弁花類・ヤッコソウ科・ヤッコソウ属
               ヤ ッ コ ソ ウ
   ヤッコソウは完全な寄生生活を営み、チブラジイ や スダジイの地表近くの
   根に寄生する。一年生の寄生植物で花芯は5~7cmで白色、乾くと褐色に
   なり葉緑体をもたない。
   花は11月に開花し花弁はなく、帽子状の雄しべがとれると雌しべが現われる。
   葉は燐片状に退化する。 この名は牧野富太郎博士が命名し、奴の群れが練り
   歩く姿に似ているところから付けられた。 分布地は、四国・九州・沖縄に
   みられる。                高知県の天然記念物である。

   

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         十一面観世音菩薩

 

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  左側、本尊  虚空蔵菩薩石像 ・ 右側、鐘楼堂

  鐘楼堂  慶安元年 ( 一六四八年 ) 九月竣工
      法印権大僧都宥譽代
      施主  土佐国主従
      四位下侍従
      藤原朝臣忠義公
  慶安元年 ( 一六四八年 ) に土佐藩二代目藩主・山内忠義によって寄進された。
  昭和五十九年に、新しい鐘楼堂が建立され、現在は使われていない。

 

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        多宝塔

 

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 本堂

 

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  納経所

 

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  本堂からの眺め

 

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  本堂をバックにお大師様と記念写真

 

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  左側は大師堂。

 

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  境内には立派な相撲の土俵が ・・・・・・・・・・・・!  

 

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    鐘 石      ( 空海の七不思議 )
    斑れい岩で、小石を叩くと、鐘のような音を発し、この響きは冥土まで届くと
    いわれ、俗に鐘石と呼ばれている。

 

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    岩見重太郎・薄田  隼人の塚
    生没年・・・・・・慶長二十年五月六日。 ( 出生年月日は不詳 )
    豊臣秀吉馬廻り衆として仕えたと伝わる。
    秀頼には三千石で仕えていた。
    剣の道を究める為、諸国を武者修行の旅に出たが、天橋立でのかたき討ちの
    助っ人をした話や、信州松本の吉田村で猩々退治をした話などが著名。
    大坂冬の陣といわれる慶長十九年十一月には大いに戦って有名をとどろかし、
    さらに翌元和元年五月の夏の陣では、ついに惜しくも戦死したと伝えられる。
                         ( 岩見重太郎・薄田  隼人の塚 前 説明文より )   

 

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  仁王門前の道を奥に入ると室戸岬灯台が見えるそうですが、遅くなりそうなので
  室戸岬灯台は諦めて駐車場へ引き返す。

 

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  スカイラインまで下りる。

 

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  16 : 17  駐車場へ。みんなが帰るまで、この先の馬頭観音像のところへ。

 

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  馬頭観音像の前をを右折すると遍路センター入口

 

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               馬頭観音菩薩

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        馬 頭 観 音 建 立 に あ た り

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  この度、馬頭観音建立にあたり御参拝戴き感謝に
 たえません。この室戸の地は、弘法大師が長い年月
 をかけて苦しい修行を重ね、悟りを開いた場所であ
 ります。世の爲、人の為に多くの迷える民を救わん
 が為に自分の体も厭わず死ぬ思いで修行をし、今も
 修行が続けられていることを思うと少しでも受け継
 がなければならない思いであります。
  今日、乱世の時代と言われています。人の心は荒れ果て、争いが絶えません。生活が
 豊かになったら豊かになったで、争いが生じ人を妬み、恨み、いつも自分が中心でなけ
 ればいけない、そんな光景が明けても暮れてもくりかえされています。   経済は破綻し、
 企業倒産が増え失業者が多く、仕事もなく彷徨える人が溢れてきています。
 栄えればいつかは滅び、形のあるものはいつかは壊れる。人の心も同じです。 いつも
 豊かであり欲しい物は手に入り、思い通りになるその状態がいつまで続くのか。 遠く
 から叫び声が聞こえてくる。その叫び声は近ずいてくる。だんだん近ずいてくる。助け
 てくれ。 それは悲鳴となり叫び、乱れ、自分ではどうしょうもないところまで行って
 しまっている。 嘆き悲しみ、恨みつらみ、争いあい悪いことは人のせいにする。行き
 着くところは自分自身を失ってしまい破局にまで落ちてしまう。
 私たちは豊かになり過ぎたのでしょうか。自由があり過ぎたのでしょうか。自分勝手に
 なり過ぎたのでしょうか。それが破局に至ってしまうのでしょう。 そのような現実を
 見ていると、どうしてもいてもたっても居られず、誰かが何かをしなければ本当の人間
 の姿が取り戻せない。問題のある宗教が増え、それに多くの人が群がり 騙されている。
 なぜ人々が群がるのか、色々 理由があるにせよ本当の教えがなされなくなったのでは
 ないでしょうか。いつも受け身になり過ぎているように思えてなりません。
 馬頭観音は前にも両横にも顔があります。 いろんな角度から厳しく、乱れた世の中を
 見つめ本当の人間の姿に戻されんことを願う。人はまず己を知ることから始めなければ
 なりません。そのような思いから馬頭観音建立に至りました。一人でも多くの参拝者が
 救われんことを祈ります。
  「 天知る ・ 地知る ・ 己知る 」
                          二〇〇一年 八月 吉日    木 下  岩 男           

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  16 : 25  最御崎寺駐車場 出発。  金剛頂寺へ向かいます。  

 

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  室戸岬灯台の写真を見せていただきました。

 

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  車窓からの風景

 

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    16 : 55 金剛頂寺 駐車場 到着。
       (  目が悪いわけではありません、急いで撮ったのでピンボケに・・・・! )

 

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            金 剛 頂 寺

  金剛頂寺 ( 廿六番札所通称西寺 ) は弘法大師が大同二年 ( 八〇七 ) 平城天皇の勅命を
 受け建立され嵯峨天皇により国家鎮護の勅願道場とされた古刹である。
  大師が一刀三礼し彫ったといわれる薬師如来像は、自ら動き出し本堂に鎮座したと
 いわれる。大師堂の横には、大師が一粒の米を入れて炊くと万倍に増えたと言う一粒
 万倍の釜、霊宝殿には、大師の金綱旅壇具ほか、仏像美術品の文化財が多く納められ
 ている。
  また、泉井守一氏寄進の鯨供養釣鐘のほか、八〇〇〇頭 鯨供養碑が建ち、捕鯨具な
 どが展示されている。その他貴重な土佐捕鯨資料も残されている。
  また県指定天然記念物、「ヤッコソウ」の自生地でもある。ヤッコソウは椎の古木
 の根に寄生する植物で、奴に似ているのでこの名が付けられた。真言道場であったた
 め明治初年まで女人禁制であった。
                            室戸市教育委員会

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  金剛力士

 

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  鐘楼堂

 

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 本堂

 

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                 薬師三尊像

    

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  霊宝殿  
  収蔵する木造阿弥陀如来坐像、板彫真言
    八祖像、銅造観音菩薩立像、金銅密教法具、
  金銅旅壇具、銅鐘、金剛頂経などはすべて国指定重要文化財
  残念ながら閉館の時間だそうで拝観することが出来ませんでした。
  17 : 05  金剛頂寺 駐車場を後に愛媛県へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    18 : 23 ~ 18 : 32  道の駅 夜須 ( トイレ休憩 )
    19 : 51 ~ 20 : 04  入野サービスエリア ( トイレ休憩 )

 

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        村上会長の挨拶。いずみ観光の運転手さんに拍手。

 

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  9: 03  大西支所到着。
ちょっとハードな研修旅行でしたが、とっても楽しい一日をありがとうございました。