梅香るウォーキング・国分寺~志島ヶ原 網敷天満宮
良いお天気に恵まれ、桜井公民館をウォーキングスタート、田圃を歩き国分寺で
参拝、桜井団地への坂道 ( 今回一番の難所 ) を上り唐子台へ、東村鳥越線を信号迄歩き
Uターン、国分公民館を ( 救護車が止まっています ) 左折、薄暗い竹林を抜け池の土手下
を下り県道38号線 ( 今治街道 ) へ ローソン今治唐子浜店前信号を渡り、唐子浜松林
( サイクリングコース ) を歩き道路へ出る。殺風景な浜沿いの道路を桜井漁港へ、漁港の
裏道を抜けゴールの網敷天満神社で中食 ( 志島ヶ原梅林又はバス ) 散策。
梅の花は見頃は少し過ぎていましたが 花の下で美味しくお弁当をいただきました。
※ 2021年2月25日今年の網敷天満宮梅林観梅会は、新型コロナウイルスの影響に
より開催中止が決定したそうです。
9 : 00 大西支所集合 8: 50 大西支所到着
8: 56 大西支所出発 196号線~宅間で集客。
宅間交差点で左折県道38号線 ( 今治街道へ ) 乃万・延喜で集客。
県道38号線を右折、高速道路沿いに走り交差点で左折196号線へ戻る。
9: 40 クワハウス今治到着 ( トイレ休憩・ウォーキングに不要の荷物は下ろす )
バス以外 ( 自家用車 ) の方は玄関前で受付をしています。
自分の乗ってきたバスに戻り ( クワハウス受付の乗客も ) 全員集合を待つ。
10 : 03 クワハウス今治出発。196号線を長沢交差点を右折県道38号線へ。
ラーメン屋の看板を左折し出発地点の桜井公民館へ。
10 : 12 桜井公民館到着。
指導者に合わせて準備体操開始。
深呼吸で準備体操終了。
指導者によるコース説明・ウォーキング中の注意事項等・・・・・・・・・・
先導の先生とバトンタッチ
10 : 23 桜井公民館前出発。
桜井公民館横を右折。
田畑の中を歩く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この先を右折
県道156号線 ( 桜井山路線 ) へ出る。
飯尾平太翁頌功碑前
県道156号線 ( 桜井山路線 ) ・東村鳥越線の交差点の信号は青、間に合うかな?
残念、信号は赤に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ !
第59番札所 国分寺バス駐車場前を右折
第59番札所 金光山 最勝院 国分寺 ( こんこうざん さいしょういん こくぶんじ )
国分寺の歴史・由来
伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。
往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個
の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の
高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の
昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は天平13年、聖武天皇( 在位724〜49 )の勅願により行基菩薩が本尊の薬師
如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、
弘法大師が長く滞在して「 五大尊明王 」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如も
2年間留まり、『 法華経 』の一部を書写して納められている。
その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年( 939 )の
「 藤原純友の乱 」により灰燼に帰した。次に、元暦元年 ( 1184 ) 源平合戦の戦火に
よる焼失。 3度目は南北朝時代の貞治3年(1364 )、讃岐・細川頼之の兵火によって
焼かれさらに4度目は長宗我部元親の「 天正の兵火 」にかかり堂塔を焼失している
相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が
寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
幸い寺には、古瓦をはじめ 『 国分寺文書 』 『 大般若経 』 など数多い文化財が保存
されている。 四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しつのみ」旨が記されている。
本格的な復興は江戸時代後期からであった。 ( 四国八十八ヶ所霊場会ホームページより )
本堂
大師堂
握手修行大師 薬 壺 薬師のつぼ
お大師様に願い事を一つだけ 体の健康を念じつつ
あれもこれもはいけません 御真言に触れながら
お大師様も忙しいですから 一度 お唱え下さい
五十九番 国分寺 伊予 国分寺
石段を下りて左へ。
国 指 定
史 跡 国 分 寺 跡
奈良時代聖武天皇の勅願によって、桜井国分に伊予の国分寺が建てられたが
国分はその境内の跡で金堂の他七堂伽藍の大きな堂塔が造営されていた。この
巨大な花崗岩の13個の塔礎石は、1.5m~2mの自然石で表面に頭大の繰形突起
があり、直径 50cm程度の繰形座の柱受けが刻みだされ、天平時代の荒打ちの
みの跡も鮮やかで豪壮なものである。礎石間の間隔は約3.6mで多少傾いたのも
あるが整然と並んでいる。
調査の結果、いく段にもつきかためた粘土の層の上に置かれた礎石は、創建
当時の姿をそのまま残しているといわれている。 この上にあった七重の塔は
200尺 ( 約60m ) ともいわれ、広大な国分寺の姿を偲ぶ重要な遺構である。
大正10年3月3日指定 文 部 省
史 跡 名 所 の 小 路 今 治 市
脇屋儀助公廟堂
緩やかな坂道に見えますが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この坂道が一番きつかった。
やっと住宅街へ。
この先の突き当り東村鳥越線へ出て左折
東村鳥越線
横断歩道を渡りUターン
国分公民館 ( 写真にはありませんが無理をしないように救護車が待機しています )
国分公民館横を左折
突き当りで右折・・・・・・・・・・
薄暗い林の中へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
池の土手を歩き山に登ると今治藩主の墓がありますが
そのまま土手に沿って坂道をおりる
やっと唐子浜が見えてきました。
県道38号 ( 今治街道 ) へ
ローソン今治唐子浜店前信号を横断
唐子浜へ入口
サイクリングコースを歩く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平坦な道路ですが退屈・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうすぐ桜井漁港
漁港の入り口を右折・・・・・・・・・・
裏通りへ右折・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
裏通りからの景色
左に、桜井漁業協同組合製氷貯氷施設
ゼッケン確認
ゴールの網敷天満神社東鳥居
網敷天満神社東鳥居前にひろがる志島ヶ原海岸
左は桜井漁港
志島ヶ原砂浜の常夜燈
網敷天満宮東鳥居
国指定 名勝 志島ヶ原
「 こち吹かば 匂いおこけよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れぞ 」
藤原氏が全盛をきわめ 平安文化が最盛に達したころ 右大臣菅原道真は天皇の
信頼を受けながら 藤原氏の告げ口によって 遠い九州の太宰府に流されることに
なった。都を出発して桜井の沖にさしかかった時 浜がにわかに荒れてやっと志島
ヶ原にたどり着いた。里人たちは菅公の身に何事もなかったのをよろこび船の舳網
を巻いて敷物にしてお迎えしたので網敷天満神社の名がつけられたと言われている。
境内の広さは約11万平方メートル 約3千本の黒松の巨木と白砂黒松の景勝地である
海岸近くには菅公ゆかりの 衣干岩や筆塚・記念碑などがある。 海岸側には幕末の
黒船に備えた台場跡があり 安政二年乙卯六月成の碑が残っている。また桜井名物と
して名高い エビ・カニの料理がある。
近年梅林などが育てられ環境が整備されて夏の海水浴の客も多く、前に斎灘 後に
世田山など史跡を控えて四季折々の眺めは また格別である。
昭和16年2月21日 文部省指定 志島ヶ原振興会
網敷天満神社拝殿
絵馬堂
天神様と牛
天神様と牛にまつわる説話はいろいろありますが、一般的には菅公が亡くなられ
た時、御遺をは運ぶ牛車が途中で動かなくなってしまい、止むなく、その地に埋葬
したのが安楽寺。すなわち太宰府天満宮のはじまりであることが知られています。
いつの頃からか、一つの願いに祈りをこめ、高く尊い天神様の御陰を賜らんと、
この座牛を触れさする信仰があります。
感染防止対策の為、牛座に触れての参拝はご遠慮下さい
令和三年は道真公にゆかりの深い牛の年です。手をかざしてお参りし
御利益を頂いて下さい。と柵に注意事項が吊るしていました。
筆塚の前で
お弁当の場所を探しに梅林へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
網敷天満宮西鳥居を出て
志島ヶ原梅林へ
ここは若木を植えて居ます。
13 : 00 ファミリーパーク志満駐車場出発予定
12 : 53 ファミリーパーク志満駐車場出発 ~ 網敷天満宮東鳥居前 ~
網敷天満宮北鳥居前 ~ 桜井本線へ出て網敷天満宮西鳥居前
~ 世良仏具店横を入り明神橋沖浦線へ。
明神橋沖浦線
椀船の港
桜井の入江は古代には現在の小学校近くまで、また、南は長沢の元瀬辺りまで
拡がっていたと考えられる。
鎌倉時代の一遍上人の伊予出発が桜井の港から行われたように、古代においては
波浪を避ける天然の良港であったと思われる。桜井の入江を潮の干潮による船の
運航、付近の伝承等から、額田王が読んだ古代の熱田津と主張する人もいる。
付近には新開、新田、個人の名前が付いた土地が多く、これらのホノギからも江戸
時代以降埋め立てが進み、現在のような河口になったと考えられる。
引き潮の時には干潟となるが、満ち潮になると50石帆船も停泊でき、かっては椀船
の出発、停泊地であり河口港の西側には漆器の倉庫が立ち並んでいた。現在も残る
内港は干潮時でも荷揚げが出来るように明治時代に造られた。
桜井公園登り口を入る。
13 : 02 クワハウス今治到着
ウォーキング完歩承認印を押してもらいます。
温泉で汗を流しつかれを癒します。
15 : 30 市内循環送迎バス出発
15 : 58 大西支所到着。
本日の歩いた距離・・・・8.7㎞。 歩いた歩数・・・・12628歩でした。
楽しい一日を過ごすことが出来ました。