研修旅行 ( 岩城島~生口島 ) 

       令和2年度女性委員長視察研修旅行

   上島町岩城島 ( 島本陣・積善山 ) ~尾道市生口島 ( 耕三寺・平山郁夫美術館 ) 

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 マイクロバスでしまなみ海道を走り生口島 ( 州江港 ) からフェリーで岩城島 ( 小漕港 ) へ
 島本陣を見学そのあと積善山へ展望台からは美しい島々を眺めながらお弁当をいただき
 昼食後、山を下り小漕港からフェリーで生口島 ( 州江港 ) へ到着。瀬戸田耕三寺付近で
 マイクロバスを降り耕三寺山門前へ滞在時間は約40分の予定 ( 全ての見学は難しい ) !
 とにかく山門 ~ 中門 ~ 礼拝堂の左側入場口 ~ 石段を上り五重塔 ~ 孝養門の右側を~
 本堂裏 ~ 救世観音大尊像 ~未来芯の丘 ( 光明の塔 ) 頂上へと何とか辿り着く・・・・・・・・・!
 帰りは猛ダッシュ何とか時間までに山門に着きました。
 さいごは平山郁夫美術館 ( 見学予定時間は 約1時間 ) 一番嬉しかったのは写真撮影OKの
 マークが張られていたことでした。

    Ⅰ号車 ( 参加人数 : 11名 )  出発乗車場所 : 大西支所
    2号車 ( 参加人数 : 13名 )  出発乗車場所 : 今治市役所第2別館前      
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    8 : 11  大西支所4名乗車 出発。 
    8 : 27  波方支所2名乗車 出発。
    8 : 40  県立今治病院バス停1名乗車 出発。 

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8 : 45 今治北IC ~ 8 : 50 吉 海IC    9 : 19 大三島ICを出るを。
8 : 56 吉海支所2名乗車 出発。        9 : 22 多々良公園山側駐車場2名乗車
9 : 10 伯方島にて弁当購入。          9 : 24 大三島IC ~瀬戸田パーキング 

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  瀬戸田パーキングで2号車と合流 ( トイレ休憩 )

 

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    9 : 36  瀬戸田パーキング 出発     9 : 38  生口島ICを出る。

 

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    9 : 50  生口島州江港 到着。

     

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    9 : 55  州江港  ( マイクロバスに乗ったまま ) 出発。

 

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    10 : 05  生口島小漕港到着

 

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県道174号線 ( 岩城環状線 ) を走り

 

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10 : 18  岩城港駐車場 ( 岸壁 ) 到着。    岩城郷土館 島本陣へ・・・・・・・・・・・・・・

 

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    10 : 20  旧島本陣跡三浦邸 御成門を入る。

          岩 城 郷 土 館  上島町指定文化財
     島の旧家三浦家の屋敷の一部を修復した島本陣遺構。
     江戸時代、松山藩主が参勤交代の途次お立ち寄りになったと伝えられて
    いる建物で、昭和五十六年に解体修理がおこなわれた。 御成門をはじめ
    他の部屋より一段高く造られた主賓の間、畳敷きの便所等部屋の間取りや
    庭園等に島本陣としての風格をうかがうことが出来る貴重な建物である。
     又、同家には歌人若山牧水吉井勇が訪れるなど文学面でも著名である。
                            上島町教育委員会

       

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                「 大 判 の 松 」
     本町、岩城八幡神社の境内に県指定の天然記念物「 大判の松 」があった。
    この松は樹齢四百年、高さ二十五メートル、根周り五メートル、樹下面積は
    四百メートルもあって島一番の大木、松としては唯一の文化財であった。
    昔から鎮守の森のシンボルとして親しまれ村びとたちの誰もが幼いころ、そ
    の樹肌に触れ、天を仰いで、そのありのままの大きさに畏敬にも似た驚きを
    記憶しているに違いない。
     昭和四十三年三月八日県の天然記念物に指定され村政要覧や観光絵はがき
    で、その雄姿が紹介され村の観光資源の一翼を担ってきた。その後全国的に
    まん延した松くい虫の被害により枯れ始めいろいろと手を尽くしたが遂に伐
    採の止むなきに至った。
     昭和五十三年九月二十日天然記念物が解除され同年十一月十二日村のシン
    ボル「 大 判 の 松 」は、つめかけた 大勢の村人たちの見守る中で その長い
    一生を終えた。この松が「 大 判 の 松 」と呼ばれるのは「 その根元に大判が
    埋められている。」との伝説による。この地は亀山と言い明徳三年の昔、当時
    の海賊首領村上修理亮敬吉の築いた亀山城跡でもある
     長い歴史とともに生きてきた老松の終焉を惜しみその名残を後世に伝えるた
    めこのような衝立にしつらえ、一方を神社の拝殿に、一方をここに配置された
    ものである。                   ( 大判の松説明書きより )

 

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    資料展示室

 

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    早速記帳を・・・・・・・・・・・・・・

 

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      歌碑のある庭

             三 浦 邸 と 牧 水 と 吉 井 勇
   歌人若山牧水が、かねて歌を通じて知巳であった。三浦家18代当主敏夫氏に会う
  ため、この岩城島を訪れたのは大正2年5月18日、牧水28歳、敏夫氏22歳であった
  牧水はねその前年に父を亡くし、家族親族から郷里に留まって若山家を継ぐことを
  懇望されていたが、作家への情熱断ち難く、遂に歌の道に生きることを決意して上
  京の途次、立ち寄ったのであった。
   牧水は、ここに5日間逗留したが、当時失意の牧水を慰め励まし、苦悶の末、投
  げ出した牧水のノートの歌を、敏夫氏が・原稿用紙に浄書した。
  有名な歌集「 みなかみ 」にはに、このようなエピソードがあったのである。
   昭和11年5月7日、牧水の歌友酒友であった吉井勇が、瀬戸内海を巡る歌行脚の
  途中、牧水ゆかりのこの三浦邸を訪れて、敏夫氏と酒を酌み交わしながら夜を徹し
  て、今は亡き牧水の思い出を語り明かし、十首の歌を残している。
                             ( 岩城郷土館パンフレットより ) 

 

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    客間  藩主の部屋

               島 本 陣 三 浦 家
    三浦家は、永正八年 ( 1511 ) 京都船岡山の合戦において三浦小三郎義胤が
   戦死し、その三男新左エ門丞義高が備後三原から当地に移住し、天文十六年
   ( 1547 ) 死亡後も連綿として続き、十八代当主三浦敏夫氏に至るまで内海に
   あまねく知られた名門であった。
    その広大な邸宅は、藩政時代に島本陣にあてがわれ、三百四十五坪の本陣
   母屋の他に脇陣・塩蔵・米倉・麦倉・道具倉・船倉・厩舎・貸家などが建ち
   並び、埋め立てによる田畑造成、塩田経営、田畑の小作人収入、金融業、木綿
   その他の商いなどを多角経営で繁栄を極めていた。
    昭和二十七年六月四日、愛媛県知事久松定武氏が県内巡視の来村され、この
   三浦邸に一泊された。久松家は代々松山藩主であった。三浦敏夫氏はこのとき
   のことを次に詠んでいる。

            ありし日の本陣なりきと我が家に
              旧藩候が一夜泊まりぬ

            現知事の旧藩候と相対ふ
              我の写真を新聞に見る

            二間隔ててひれ伏せしとふ言ひ伝へ
              心にうかべ相対ひ居り

     

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    10 : 35  約15分間、旧島本陣跡三浦邸見学を終え観光センターへ。

 

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来るときは左の路地を入りました。     マイクロバス前を通り過ぎ・・・・・・・・・・・

 

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    岩城港    

 

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   岩城島は、国立公園瀬戸内海のほぼ中心、愛媛県の東北端で広島県堺に位置し
  古くから内海交通の要衝として、また風光明媚な島として広く知られていた。
   康平6年 ( 1063 ) 源頼義伊予守に任ぜられ、その在任中に伊予国八幡宮を七
  社建立、ひの一つが現在の岩城八幡神社である。
   次いで鎌倉時代には、時の顕官、大臣の東上、西下のつど立ち寄り、その景色
  をめでて幾多の詩歌を残している。
   下って徳川時代松山藩の属領となり本陣が置かれ、参勤交代の途次藩主が立
  ち寄り、また郡寄せ倉、お茶屋など班の施設が設けられ繁栄を極めていた。
   廃藩後、造船業、海運によりその繁栄を持続していたが、明治中期から衰退し
  た。現在は柑橘農業、造船関連工業、水産業、観光を主産業とした健康で明るく
  自然を守り文化を育てる、豊かで住みよい町づくりをめざしています。
                         ( 岩城郷土館パンフレット岩城の紹介より )

  

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     岩城観光センター ( 買物・トイレ休憩 )   

 

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上島町合併記念碑              しまなみ道の駅 
上島町は、平成16年10月1日、弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併し誕生しました。

 

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皆さん岩城島特産の芋菓子をたくさん買っていました。

 

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10 : 55  岩城港駐車場 出発         県道174号線より積善山登山口へ入る。

 

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    窓ごしの風景

 

    f:id:nobubachanpart3:20201212134251j:plain    11 : 30  積善山トイレ 東駐車場 到着。

 

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なだらかに見えますがかなりきつい登坂です。

 

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桜並木が頂上まで続いています。       

 

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                積 善 山 展 望 台
 岩城山の中央部に位置し、岩城富士とも呼ばれている。山頂には360度の大パノラマが
 広がる積善山展望台があり、展望台から眺める景色はまさに壮観。眼下には瀬戸内海に

 浮かぶ島々、遠くには中国山地四国山地が望める。また、桜の名所としても有名で、
 春になると登山道路に沿って立ち並び、約3千本の桜が山をピンク色に染める桜景色は
 「 天女の羽衣 」と呼ばれ言葉を失うほど見事なもの。 

 

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    お弁当をいただく前に展望台からの風景を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    こちらは岩城港側、旧島本陣跡見学の三浦邸のあるところです。

 

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みんなで一緒に同じ仕出し弁当を美味しくいただきました。

 

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      本日のお弁当

 

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    下を覗くと駐車場の向うに見えるのがトイレのようです。

 

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展望台横、積善山石碑の前で

 

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    駐車場へ。

 

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    駐車場からの風景

 

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ガードレールに腰かけて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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12 : 30  積善山駐車場を出発        県道164号線へ

 

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    12 : 40  小漕 ( おこぎこ ) 港へ

 

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      時刻表を見てびっくり !  13 : 30 まで便がありません。

    

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    待ち時間 約50分、マイクロバスを降りて港の近くを散策

 

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    洞窟の中へ

 

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    中にはお地蔵さまが祀られていました。 

 

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    防波堤を歩き灯台へと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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 小漕港防波堤灯台       灯台の扉に「 エコ灯台 」シールが貼っていました。 

f:id:nobubachanpart3:20201218202242j:plain   「地球環境にやさしいエコ灯台」について
 「エコ灯台」とは、これまで白熱電球を使用していた灯台
 光源を、消費電力が少なく寿命も長いLEDへ転換するとと
 もに、電源は太陽光発電装置を使用したもので、これにより
 省電力化 、CO2削減効果が期待されます。また、エコ灯台
 は機器の信頼性も向上し、自然災害に強い灯台でもあります。
 灯台のエコ化は、平成元年から進められていて、現在、今治
 海上保安部の管内にある51基の灯台、灯標のうち、28基が
 整備を済ませているそうです。

 

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    小漕沖灯台の左側の小さな島「 鳶島 」の向うにに眼をやると、 はしけ)
   船体の大きなブロックを積みタグボートが牽引(曳航)中・・・・・・・・・・・・・・

 

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    出航時間迄にまだ30分余り、ぼんやりとタグホートの行く先を・・・・・・    
 

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    造船所の向うから大きめのタグボートが近ずいて・・・・・・・・・・

 

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    方向転換 、 ( はしけ)に寄り添うように進んで行き・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    いつの間にか船は見えなくなり、お陰で退屈しないですみました。 

 

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13 : 30  小漕港出発            13 : 37  洲江港到着 

  

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耕三寺東交差点付近でバスを降りる。     信号を渡り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  13 : 55  耕三寺山門前に到着。

 

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  山号は「 潮聲山 」中門の左右に羅漢像

 

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      馬頭観音菩薩立像           不空羂索観音菩薩立像

  

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  入場券売り場・スイレンの庭

 

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    左側に入場口、 真ん中は礼拝堂、 右側は出口、ここ迄は無料です。

 

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  入場口を入ると真ん中の手水舎で ( 手を清め ) 石段を上り下段から中段へ。

 

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  五重塔

 

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    五重塔の扁額は「 大慈母塔 」

 

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                孝  養  門
 この門は耕三寺参拝の人々が極彩色の塔堂を初見して、あたかも「 日光のようだ 」と
 言われたのを、和尚が心に留め、昭和28年9月、日光陽明門の原寸復元を発眼され、
 約10年をかけ建立されたものです。
  その実測図面は、民間になく文部省に一組だけあるということが分かり同省に申請し
 て入手しました。また了承を得て工匠を再三日光に派遣しようやく昭和28年1月造営
 に着手することが出来ました。木組み、寸法などは、陽明門と同じですが、彫刻、金具
 彩色などは、和尚の考案で、仏教様式を取り入れ様相を異にしており大正、昭和を代表
 する彫刻家の作品で飾られています。 
  和尚は、この門を建立するにあたり「 母が子を養育するように年月をかけ手間暇おも
 惜しまず慈しみ建設をしょうと思う 」と話されていました。
                             ( 孝養門正面の説明書より )

 

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       如意輪観音菩薩坐像              千手観音菩薩坐像

   

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    ここを入れば本堂がすぐそこに、先に未来心の丘へ行きたいので。

 

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  西側を回ります・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

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    本堂の西翼楼に仏像が見えたのでお賽銭を供えて入って見ました・・・・  !!

 

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         見上げると美しい極彩色の不空羂索観音像でした。
         お顔は二階の扉から拝観するのでしょうか・・・・・?

  

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    親鸞聖人像とカエル

 

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  救世観音大尊像。 
   未来心の丘へは観音像の右らから入りますが時間の余裕が15分しかありません。

 

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                未 来 心 の 丘  巍 々 園
  この丘は、世羅郡世羅町出身の彫刻家、抗谷一東氏が1989年より12年の歳月をかけ
  イタリア産白大理石を素材に制作された、大規模環境造形作品です。彼は1969年に
  イタリアに渡り、ローマの国立アカデミアで巨匠ペリクレ・ファッツィーニ氏に師
  事し、バチカン宮殿の謁見の間「 キリストの復活 」の製作にも参加されました。
  1990年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に謁見。2005年にマーブル・アーキテュ
  アル・アワード大賞 ( イタリア ) を受賞。2006年には、広島文化賞を受賞されてい
  ます。 渡伊以降トスカーナ州カッラーラに工房を持ち活躍され、国内はもとより
  イタリア、ドイツ、スペインに設置されたモニュメントも40点を超え、各地で高い
  評価を得ています。

  家族愛と湧き出る力をテーマにしている氏の作品は、初代住職が母の慈愛に報いん
  と耕三寺を建立したことと相通じるところがあります。 美しい瀬戸内海の眺望と
  造形美を、体感をもってお楽しみください。     ( 未来心の丘登り口の案内板より )

  

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    大理石のカフェクオーレ

 

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  大急ぎで 頂上へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  またまた大急ぎで集合場所へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・急ぎます。

 

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       2009年12月27日 孫達と耕三寺博物館未来の丘へ

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帰りはエレベーターで。          近道をして生垣の間の小道を入る。

  

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    親鸞聖人像の横に下りる

 

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  ここから右の本堂前に上がる。

 

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  本堂前からの眺め、大礼壇の向うは孝養門。

 

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  孝養門の右側の通路を出る。
 

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  上段から石段を下り中段、五重塔の西側、「法宝蔵」へ・・・・・・・・・・

 

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「法寶蔵」では近代日本画展が、時間が無いので残念ながら通り過ぎます。

 

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  中段から下段へ。

 

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    左側の出口へ。

 

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    中門前。

 

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    中門を下りて山門へ、集合時間2分前に到着。

 

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  14 : 30  耕三寺山門をあとにする。

  

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    平山郁夫美術館へ急ぎます。

 

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   トルコからシルクロード 令和2年12月15日 ( 土 ) ー 令和3年3月19日 ( 金 )
  平山郁夫シルクロードへの旅は、1966 (  ) 年に東京藝術大学学術調査隊の一員と
 して、トルコ・カッパドキアへの訪問が始まりでした。その後40年以上にわたって各
 地を訪れ作品を描き続けましたが、最後の院展出品作品である『 文明の十字路を往く
 アナトリア高原  カッパドキア  トルコ 』もトルコを題材にしたものでした。『朧月夜
 ブルーモスク  イスタンブール 』やシルクロード関連の作品とあわせて第3展示室にて
 紹介。

 

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    14 : 34  平山郁夫美術館表門を入る ( 見学約30分間 )

 

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マスク着用                 受付で検温実施

 

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    庭園
     故、中島健先生の設計による、瀬戸内の多島美をイメージした庭園です。
    四季おりおりに花が咲き、彩を添えます。

  

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  ロビー

 

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    代表作 「 仏 教 伝 来 」原寸大の陶版画がロビーを彩る。

  

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  ギャラリー手前には  第14回平山郁夫美術館賞絵画コンクール子供たちの素晴ら
 しい作品が展示されています。

 

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    ギャラリー
    資料と写真で、平山郁夫の紹介しています。資料には、小学生時代の絵日記、
   学生時代に描いたモナリザの模写なども。

 

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  右側に、第1展示室 「 平山郁夫のあゆみ」

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  ミュージアムショップ
   館内中央に、ミュージアムショップがあります。ふくせいがをはじめ、平山郁夫
  先生の作品をモチーフにした当館オリジナル商品や、図録、書籍など、お土産や、
  贈り物としてても喜ばれる品々を多数そろえています。ミュージアムショップのみ
  の利用も可能です。複製画 ( 500円~ ) や絵はがき、色紙、図録、書籍などを販売。
  ネットショップも設けていますが、紹介しているのは一部の商品で、シルクロード
  をイメージさせるスカーフやアクセサリーなどの商品も。

  

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  第2展示場 「 しまなみ海道 」  
         平山郁夫画伯 しまなみ海道五十三次水彩画

 

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         【 天架ける白い橋 瀬戸内しまなみ海道
        平成12年 第8回院展 ( 紙本彩色・六曲一隻 172×545.4 )

  大島と今治を結ぶ来島海峡大橋は、小島を三つほど、ぽんぽんと跨いで橋が架けられ
 ている。飛び石を行く夢の橋となっている。急流の来島海峡は凄い流れで、海流速度を
 示し船舶に知らせている。青い海に、緑の島を縫って白い橋が大島から今治に結ばれて
 いる姿は神話の物語が、夢が、現実に出現している。          平山郁夫

  この【 天架ける白い橋 瀬戸内しまなみ海道 】は、今治市公会堂の緞帳に。

 

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                  因島大橋 10-11-7

 

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  第3展示室 「 トルコからシルクロード
  21×14メートルの大きな展示室。主に企画展に使用、大作の展示が中心です。

 

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             【 求 法 高 僧 東 帰 図 】
           ( 製作年 / 1964年  サイズ  / 181.0 × 3669.9 )

   天竺への道を、玄奘や法顕のように多くの求法僧が目指した。求法僧の中には、
  道に迷ったり、病に倒れたり、あるいは盗賊に襲われたり、多くの旅人たちと同様
  に、途中で倒れ、目的を成就出来なかった人も多い。
   この図は、天竺求法を終えて、中国へ東に向かって帰る砂漠を行く商高の僧たち
  であるが、天竺への求法の旅を果たした何人もの僧たちがたどったその姿を抽象的
  に描いたものである。 ( 平山郁夫 )

  

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      【 文明の十字路を往く アナトリア高原 カッパドキア トルコ 】 
         シルクロード 平山郁夫 2009 紙本色彩 171.0 × 364.0 cm

  標高1,000メートルを越えるアナトリア高原の中心部に広がるカッパドキア。柔らかい
 地層と硬い地層が重なり合い、浸食されて生み出された奇岩が延々と広がる一大奇観の
 地である。三世紀、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが柔らかい岩を
 くり抜いて隠れ住んだ。以来、十数世紀もの間、ペルシアやイスラーム勢力の脅威に絶
 えずさらされていたキリスト教徒は地下都市や僧院をつくっていった。文明の十字路で
 あるカッパドキアの巨岩を背景にラクダのキャラバンが通り過ぎる。 ラクダの歩みは
 この地を行き交った民族や文化の象徴であろう。
  平山郁夫は亡くなる直前、病をおして本作を完成させ、人生最後の院展 ( 第94回 ) に
 出品した。平山郁夫は、かって、1966 ( 昭和41年 ) 36歳のとき東京藝術大学の中世オリ
 エント遺跡学術調査団で、カッパドキアの洞窟修道院壁画の模写に従事した。このとき
 生れてはじめてシルクロードの地に滞在した体験が、シルクロードを終生のテーマとす
 るきっかけになったと述懐しているが、くしくも人生最後の大作もまたカッパドキア
 テーマにした絵であった。

 

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           【 アンコールワット 遺 跡 朝 陽 】
         平成4年 第77回院展 ( 紙本彩色・四曲一隻 171×364 )

    アンコールワット本殿を、少し角度を変えて見るのも楽しい発見がある。
   北側に回ると、樹木の間から、塔を中心とした構造物が複雑に見え、一段と
   奥行きを感じさせる。

 

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                【 群 畜 穹 閭 】
               ( 紙本彩色・六曲一隻 171×362 )

   シリアのアレッポのバザールは国際的に名高い。この家畜市場を訪ねた。人や
  動物の体臭、雑音と熱気。加わるにアラブ特有の羊料理の臭気。羊、山羊、牛など
  時に一万頭以上が集まるという大市場の雰囲気を再現しょうと作品である。
                           平山郁夫「 信念の道程 」

 

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             【 求 法 高 僧 東 帰 図 】

              製 作 の た め の デ ッ サ ン
                    昭和39年 ( 1964 )

 

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              【 亜 羅 比 亜 の 翁 】
           ( 製作年 / 1972年 サイズ53.00×72.7 ㎝ )

  人類の文明発祥地である、イラクのメタポタミア地方の、チグリス・ユーフラテス
  運河がある。この周辺に、五千年から三千年前にわたる古代遺跡が散在している。
  両河が合流してシャット・アラブ河となり、その先にフッドという集落がある。
  そこに立つアラブ人の長老を描いた。 ( 平山郁夫 )

 

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             イスタンブールのモスク
                       昭和52年 ( 1977 )

 

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                ペリシラマ村の女
                    昭和41年 ( 1966 )

  芸大の調査団でトルコに行った時、滞在したのは寒村である。村民はイスラム教の
 伝統に生きている。とくに、女性たちは、男の社交場に絶対同席しない。四ヶ月滞在
 で、村の男性たちと友好的になった。あるとき、村長さんの家に招待されたが、奥さ
 んは、料理を部屋の入口まで運ぶが、人前には絶対顔を出さなかった。何とか女性の
 スケッチをと願ったが、異教徒の男性がイスラムの女性に近ずくことは寒村ではタブー
 であった。  日曜日には少しずつ村の風景を写生しながら、個人的に家族との付き
 合いを試みた。 調査隊の荷物運びを手伝ってくれた村人たちからの紹介で、やっと
 女性のスケッチができるようになった。この作品は、彼女たちへのへ共感を元に描い
 た作品である。                         ( 平山郁夫 )

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            はじめてのシルクロードトルコ
  昭和41年 ( 1966 ) 6月、東京藝術大学中世オリエント遺跡学術調査団に参加した。
 7 ~ 14 世紀頃まで、トルコのカッパドキア地帯には、ピザンティン帝国時代の洞窟
 修道院が造られている。
  カッパドキアの断崖に何千と造られた、厳しい修行場としての洞窟寺院は、まるで
 地下要塞のように、何層にも掘られていた。私たちが、調査した地点は、首都アンカラ
 から東北に250キロほど離れた、アクサライ県のイヒララ村であった。
  高い雪山から流れた水が砂漠を侵食し、長い時間をかけてできた渓谷がある。両岸
 の断崖は高い所で優に  100 メートル、低い所でも 50 メートルはある。 その断崖に
 大きい教会堂は田舎の小学校の講堂くらいのものが掘ってある。 立派な柱が何本も
 立っているが、これには彫刻が施されている。 祭壇から天井まで、すべてに彫刻が
 刻まれ、壁にはピザンティン様式の絵がいっぱいに描かれていた。私たちは、この壁
 画を調査し、模写するためにやって来たのだ。           ( 平山郁夫 )

  

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  そろそろ集合時間、お土産を選びます。

 

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        法隆寺金堂壁画再現模写

 

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15 : 02  平山郁夫美術館を出る。

 

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駐車場へ。                15 : 12  駐車場 出発。

 

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    国道317号線

 

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国道317号線から ・・・・・・・ 県道81号生口島環境線 ・・・・・・・・・  15 : 27  生口島北ICへ

 

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15 : 30  多々羅大橋を走行・大三島へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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    15 : 35  大三島ICを出る。

 

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多々良公園山側駐車場へ。         15 : 38  山側駐車場で、2名下車。

 

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15 : 53  吉海支所前  2名下車。   

 

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  今治北ICまで約500m ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

 

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  16 : 07  しまなみ海道  来島海峡 サービスエリア 到着 ( トイレ休憩 )

 

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    16 : 10  サービスエリア 出発
    16 : 11  今治北IC 
    16 : 14  県立今治病院バス停 1名下車。
    16 : 22  波方支所 2名下車     

     

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    16 : 36  大西支所  到着 ( 4名下車 )
        楽しい一日でした大変お世話になりました。
    本日の歩いた距離 ・・・ 約 4.9 km。  歩いた歩数 ・・・ 8580 歩でした。