菊間 ( 歌仙の滝~菊間調理所~ひるめ地蔵~大河内神社 )
市老連ハイキング計画
コ ー ス ・・・・ 菊間 (歌仙の滝~菊間調理場~ひるめ地蔵~大河内神社 )
実 施 日 ・・・・ 11月17日 ( 火 ) 雨天中止延期なし
時 間 ・・・・ 集合 9 : 40 までに 出発 10 : 00 ~ 14 : 00
集合場所・・・・歌仙の滝駐車場
食事場所・・・・加茂神社 ( 弁当持参 ) 大河内神社からマイクロバス、自家用車で移動
参加者数・・・ 74人 看護師・事務局含む ( マスク着用 )
出 発 式 ・・・・ 9 : 45~10 : 00 ( 市老連会長あいさつ他 )
● 島嶼部からの参加者はマイクロバスで送迎。
陸地部からの参加者は自家用車で集合 ( 三密に注意 )
距 離 ・・・・約 3.6km ( 出発地点 歌仙の滝~到着地点大 河内神社までの距離 )
8 : 30 大西地区 (5名参加 ) 大西支所集合
8 : 33 2台の乗用車に便乗して大西支所出発
8 : 50 菊間町池原小ヶ丸広場公園 ( 約5分トイレ休憩 )
8 : 58 歌仙の滝駐車場到着
9 : 03 ゼッケン着用
9 : 13 マイクロバス到着
出発式までのひと時
9 : 37 事務局 宮脇 和司さんの司会で出発式開始
9 : 38 市老連 御手洗 稔会長あいさつ。
菅 良二 今治市長あいさつ。
最後に若手委員長 ( リーダー ) のあいさつ。
9 : 48 手を上げて歌仙の滝登り口へ。
歌仙の滝公園
松山四代藩主松平定直が全長36間の滝を36歌仙になぞらえて名付けたと伝えられる
「 歌仙の滝 」には観音滝 ( 新滝 ) と、霧合の滝 ( 小滝 ) の二つの趣の異なる滝があり
古来より参拝客でにぎわっています。 この滝を取り巻く形で整備されている歌仙の
滝公園は春の桜、秋の紅葉と地域の人々から四季を通して親しまれています。
( 登り口の歌仙の滝公園 案内板より )
少し登ったところで道が分かれていますが川沿いを左に上る。
9 :50 小さな橋の上から歌仙の滝を見上げる。
歌仙の滝は36ヶ所の屈折があります。 階段を登り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
石段を上がったところに松平定直公により建立された観世音菩薩像。
瀧観音堂。旧野間郡 ( きゅうのまごうり ) 新四国八十八ヶ所 第四番札所
春分の日には「 お滝さん 」と呼ばれている縁日があり多くの人でにぎわう。
滝壺は観音堂の向かって左後方にあります。
滝壺の横にある観世音菩薩像。
足元に気をつけながら恐々下を覗く。
境内の「 霧合の滝 案内板」霧合の滝は 約780m先にあります、水量も多く迫力
がありとっても美しい滝です。残念本日ハイキングコースには入っていません。
左側には歌仙の滝公園にあるただ一ヶ所のトイレです。
下り口ではお茶と飴の御接待。
10 : 08 歌仙の滝駐車場で水分補給のあと出発。
歌仙の滝駐車場から県道164号線へ。
大きく蛇行したヘアピンカーブの坂道をおりる
この先の大河内神社前を左折。
10 : 33 新松尾橋前の県道164号線沿い 路側帯に全員集合。
リーダーより行程の説明( 菊間調理場~ひるめ地蔵~大河内神社へ )
10 : 38 県道164号線を横断町道へ。
左側の橋は菊間川に架かる ( 県道164号線 )新松尾橋 。
10 : 42 菊間調理場 ( 旧学校跡地 )
卒業生された方が学校の思い出をお話してくださいました。
町道から左折し菊間橋を渡り県道164線を横断、菊間公民館を左折。
サポーターの合図で只今横断中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
菊間公民館前を左折し県道164線下の道を歩き「 ひるめ地蔵 」へ。
比留賈橋 ( ひるめばし ) を渡り。
11 : 00 ひるめ地蔵到着。
ひるめ地蔵参拝
ひるめ地蔵由来
天正拾三年 ( 約五百年前 ) 豊臣秀吉 四国征伐の為 毛利・小早川に命じ、大軍を
持って伊予に来攻し高仙城 ( 菊間町 亀岡 ) 黒岩城 ( 菊間町 松尾 ) 相次いで落城す。
黒岩城主 渡部内蔵進の姉、タカ姫は眉目秀麗、貞節、高潔、信仰心深き事近隣
に聞ゆ、落城により、一族離散し、タカ姫は 高田村某家に身を寄せたり、たまたま
尿道の病に罹る。よってタカ姫は田中の地蔵尊に祈願し、心願成就し病全く平癒す
タカ姫はこの地に、真教、その他経籍等百巻を石棺に納めて祈念す。以来老若男女
来たりて真願す。霊験あらたなるこの衆知の通りなり。心願成就のお礼参りに石仏
男子のシンボルを奉納す。
毎年八月二十一日に タカ姫の霊を慰めるための祭礼が盛んに行われる。
地蔵堂前石碑 「 ひるめ地蔵由来」より
トイレは地蔵堂の左側に設置されています。
11 : 12 ひるめ地蔵出発。
町道から左折し県道164号線へ出る。
県道164号線
新松尾橋横断中。
菊間川に架かる大河内橋を入る。
11 : 33 大河内神社下の広場 ( ハイキングコースゴール地点 )
( 希望者のみ神社の階段を上がる )
小さな太鼓橋を渡り石段が続く参道を上ります。
鳥居前
注連縄をくぐると岩肌が迫った険しい石段が続く・・・・・・・・・・・・ !!
あともう少し頑張って最後の石段を上ります。
11 : 38 大河内神社拝殿前へ。
大河内神社 ( おおかわちじんじゃ )
主 祭 神 猿田彦命 ( さるたひこのみこと )
大己貴命 ( おおなむちのみこと )
少名毘古那命 ( すくなひこなのみこと )
神社境内社 厳島神社
特殊神事 御頭継ぎ
主な例祭 1月最終日曜日 初祈祷 10月第3火曜日 例大祭
神社由来 創祀抹消。北畠親房の末裔、大河内具房が天正11年この地で
卒したのを祀り杉縄宮と称した。 寛文3年現地に奉還し、
大河内大明神と改称した。
鎮 座 地 今治市菊間町松尾1338
おとう継ぎの行事などがおこなわれます。
大河内神社は、旧歌仙の松尾地区の氏神さんです。 大祭10日前の注連縄張りから
始まり、子供神輿のやど、など大祭当日まで祭りの世話を受けるのが ( とうや ) と
いう制度です。
大祭当日、例祭が執り行われた後、来年当たりのとうやさんに引き継ぐ儀式がおと
う継ぎです。とうや以外にとうやを補助する2軒が決まります。 地区内で順番に
当番が決まりますが、おとうを受けるのは 何十年に一回ぐらいの間隔で巡ってくる
おとう継ぎには、大きな杯に御神酒をなみなみとそそいで今年のおとう家から来年
のおとう家にまわして飲み干します。しかも盃は5段重ね周りのものからは、それ
いけ、やれのめ、やいやいとうるさいこと!! 最後の盃は悠に一升は入るそうです。
賑やかな光景が目に浮かぶようです。
神社裏山から拝殿まで車道が続いています。
11 : 42 手摺伝いに参道を下りる。
全員下りるのを待って。
大河内橋を出る。
11 : 48 乗用車の運転手はバスに乗り歌仙の滝公園駐車場へ。
このお地蔵さんは農免道路建設のため現地より南方約二十メートル地点より
平成五年三月に移し安置したそうです。
11 : 56 乗用車到着、乗り合わせて加茂神社へ向かいます。
加茂神社参道
12 : 05 加茂神社 到着
階段を登る前にゼッケンを返す。
加茂神社由来沿革
御祭神 別雷命 ( わけいかづちのみこと )、 闇於迦美命 ( くらおかみのみこと )、
大山咋命 ( おおやまくひのみこと )、
祭礼日 葵祭 ( 5月5日 ) 芽輪神事 夏越 ( 7月31日 )
菊間祭 「お供馬」 ( 10月第3日曜日 )
当社は寛治4年、堀川天皇の勅願により、それまで宮中武徳殿で行われていた
競馬の儀式を京都賀茂別雷神社 ( 上賀茂神社 ) で行うこととなり、そのためには
20頭の馬が必要であり菊万荘園地ほか全国で19ヶ所の荘園地が定められ、その
年貢が競馬の費用にあてがわれた。その荘園地となった社領の鎮護のため御分霊
を奉斎したものと考えられる。 豊臣秀吉が天下を統一した後、社領制度改めに
より、天正14年以後菊間との関係がなくなる。
江戸時代には菊間郷十ヶ村の大氏神として、松山藩特別崇敬社となり、臨時祭に
は藩より奉幣と共に必ず代官が参列している。
10月の秋の大祭には町内各地の神輿が集合し、馬場では ( 昭和42年県無形文化財指定)
お供馬行事があり、飾ら少年騎手によって270mの参道を駆け抜ける稚児競馬が
あり勇ましい掛け声が聞かれる。また池原地区よりは獅子舞、町地区に於いては
県東部随一の牛鬼が繰り出され午前中境内は絢爛豪華な祭りと成
平成5年4月吉日 加茂神社
階段を上った正面に加茂神社拝殿
きれいな拝殿内で参拝
ガラス張りの堂内四方の壁に奉納額が掛けられていました。
神馬の由来
当神社の本社、京都賀茂別雷神社では 奈良時代より競馬の行事があり約千年以前の
寛治4年、堀河天皇の勅願によって毎年奉納されることとなった。そこで、全国で20
ヶ所の土地を選んで、神社の領地とし、その土地からの収入を競馬の費用とした。
菊間町もその時神領地となった。約500年の間庄園地であったが徳川時代となって
その関係は絶たれたが本社5月の葵祭には、菊万の庄と名乗って召立に応じる儀式が
今も残っている。本社の葵祭競馬の様式を模倣して昔から行われているのが、愛媛県
指定、無形文化財、民俗資料、走り馬の行事である。
左側は、お供馬資料館
お供馬資料館のぞいてみました。
境内でお弁当をいただきます。
加茂池
拝殿・本殿裏の丘の上には大きな溜池、加茂池があります。
愛媛県無形民俗文化財 お供馬の行事
昭和40年12月4日 県民俗資料指定
昭和52年1月24日 県指定替
毎年10月9日・10日の両日、加茂神社の例大祭に神社境内でおこなわれる。
子供が騎手となってはしり馬(競馬 ) の行事と、これらの馬が神輿の渡御に供奉
する行事を総称してお供馬の行事という。
寛治4年 ( 1090 ) 京都上賀茂神社の庄園となった菊間に分社を奉斎し本社葵祭の
競べ馬を模倣したものであろう。明応4年 ( 1495 ) の祭礼の条に「侍競馬」記事
のある古文書が現存する
所有者 加茂神社
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2010年10月17日、10年前のお供馬の様子です。
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五百年の伝統行事お供馬
お供馬の祭りを唄う
詩 サトウハチロー
おやじも乗ったぞ
おぢいもやったぞ
おいらも負けずにがっちりやるぞ
手をふる母だぞ
妹もいるぞ
タノムといえば うなずく馬だぞ
加茂神社下に集合
閉 会 市老連 御手洗 稔会長の閉会挨拶。
13 : 00 解散
13 : 20 乗用車に乗り合わせ大西支所到着
本日の歩いた距離・・・・約6km。 歩いた歩数・・・・9795歩でした。