周辺地方歴史探訪 新居浜市 Ⅱ  

  新居浜市 Ⅱ ( 日暮別邸・一宮神社・ ( 新居 )大島 ・村上邸他

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  今年度の周辺地方歴史探訪は、昨年度の ( 新居浜市・Ⅰ ) マイントピア別子端出場・
 東洋のマチュピチュ東平探訪に次いで、( 新居浜市・Ⅱ ) 新居大島探訪です。予定は
  8 : 30  大西支所出発。参加人員 34名、壬生川産業道路・西条産業道路を経由で  
  9 : 20  日暮邸駐車場到着 。日暮別邸 ( ひぐらしべってい ) ・一宮 ( いっく ) 神社 見学。
  11 : 40  黒島ヘリー港発。 ~  11 : 55  大島ヘリー港到着 。
       昼食、大島交流センター ( 弁当持参 )
       ガイド 瀬戸内文化研究会 内海氏。
       八幡神社 ・ 大元神社 ・ 村上邸 見学。
  15 : 15  大島ヘリー港発。  ~  15 : 30  黒島ヘリ港到着。
       多喜浜塩田遺跡、文化財めぐり
       明正寺・黒島神宮・久貢屋敷 見学。
  16 : 30  新居浜出発。   帰路 バイパス経由 国道11号線
  18 : 00  大西支所帰着。の予定が、  18 : 58  大西支所到着となりました。

  

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  大西支所  26名。JAさいさい前  7名、。湯ノ浦前  1名。 計 34名参加。

 

f:id:nobubachanpart3:20200919213128j:plain  f:id:nobubachanpart3:20200919213139j:plain8 : 35  大西支所出発。          8 : 56  村上会長挨拶。日程の説明。
9 : 05 ~ 9 : 39  資料、新居浜史跡案内 多喜浜塩田遺跡と文化財めぐり、P6枚、
           日暮 ( ひぐらし ) 別邸  ~   新居大島と村上水軍の解説。

 

       ~ 日暮別邸記念館・展望台 ~

別子銅山は元禄4年 ( 1691 ) に開坑された。明治時代に入ると西洋の技術を取り入れ急速な近代化が進められ、採掘量は大幅に増加した。増産対応のため、製錬所は山から浜へ移るとともに増強され、排出される亜硫酸ガスが、周辺の農作物に被害を与える煙害が深刻化していき、その問題解決のため、製錬所を新居浜から瀬戸内海の沖合20kmにある四阪島へ移転の決断をしたが、その意に反し煙害は東予地域一帯の広範囲に及ぶ。 「日暮別邸 」は、四阪島製錬所が操業を開始した翌年の明治39年 ( 1906 ) に、当時の 住友家第15代当主 住友吉左衛門友純 ( ともいと ) の命により、住友家の別邸として四阪島に建設された。お客様のおもてなしなどの為に使われた木造2階建ての建築物であり、その名は四阪島製錬所の設計を行った技師が、日が暮れるまで構想を練っていたことに由来する。その立地は、製錬所を見通せる場所であり、煙害克服に対する当主としての強い関心の現れであった。そのその後、煙害を無くすため関係者による様々な対応が重ねられ、昭和14年( 1939 ) に煙害は完全に解決されました。
築後110年余りの年月を経て、風雨にさらされた「 日暮別邸 」は老朽化が進み、住友グループ 20社が協力し、四阪島を遠望できる新居浜市内の星越山に移築保存し、先人達が遺した歴史などを、広く伝えて行く「 日暮別邸記念館 」として整備され、約2年前の平成30年11月1日から一般公開されており、住友の事業のルーツである銅精錬の歴史なども併せて紹介されています。

 

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  9 : 43  日暮別邸記念館  専用駐車場到着。 
       日暮別邸記念館の見学は20名、バスの通路を挟んで、2班に分かれる。

 

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  遊歩道入口

 

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    左に急斜面の上り坂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  ここからは階段を登ります。

 

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       10 : 50  1班 ( バスの座席右側の人 ) は、日暮別邸記念館へ。

 

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  2班 ( バス座席左側 ) は、駐車場で館長さんの、日暮別邸についての説明があり。

 

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  記念館の西側に延びる遊歩道を上がり正面に見える展望台へ。

 

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  展望台
  当館より約150m行った最高地点にあり、四阪島にあった大煙突 ( 1942年完成高さ
  64m ) の底部内径 ( 9.7m ) を模した鍰煉瓦 ( からみれんが ) の囲いがあり、新居浜
  360度見渡せ、四阪島や別子銅山のあった赤石山系を望むことができる。

 

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  残念ながら四阪島は、悪天候のため見ることが出来ませんでした。

 

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     現在の新居浜の風景            当時の新居浜の風景

 

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  大煙突を模した鍰煉瓦の囲い。

 

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     住友山田社宅は 、2階建て洋館2戸・平屋住宅4戸 ( 新居浜市へ寄付 )を
     残し、全て取り壊されています。

 

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           当時の住友山田社宅風景 平成24年
   住友の福利厚生施設として、昭和4年に着工。順次建設が進められ、昭和20年代
  には 300 戸近い木造平屋住宅が建ち並んだ。広い敷地にゆったりと建てられた社宅
  は、周囲が生垣で囲まれ、風通しが良く明るく、新居浜における郊外住宅のさきが
  けでもあった。平成10年代から老朽化と耐震性の問題により順次取り壊された。
  残った社宅4戸と、外国人技術者用に建てられた2階建て洋館2戸の計6戸は、
  住友金属鉱山住友化学、住友協力電力から新居浜市に寄付され、現在管理されて
  いる。

 

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展望台から日暮別邸記念館を望む。     10 : 10  1班と交代、2班が館内へ。

 

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  1階、玄関で検温チェック。応接室に入ると暖炉が二つあります。一つは大島石
  ( 今治市大島で産出される銘石 ) で作られた暖炉で全ての石を取解き復元。

   

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  階段下にある暖炉はベンチと組合わせたイングルヌックと呼ばれる様式空間に。

 

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      サンルームの壁際には移築では再利用できなかった屋根裏の梁の
      一部を展示しています。

      

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       食堂

 

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        応接室の空間を象徴するコの字型の階段も忠実に復元。

 

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  館内2階、階段を上がったホールでは、住友と四阪島の歴史などを4画面の中から
  選択する65インチモニターで見ることが出来ますが、今日は時間が無いので・・・・・・

 

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  第一展示室の中央では、塩野門之助、が設計した四阪島精錬所の建設当初 ( 明治
  42年頃 ) の様子をジオラマ ( 1/1000スケール ) で紹介しています。

 

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     明治の四阪島 ( 家ノ島・美濃島 ) ジオラマ 

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   四阪島の最盛期には5,500人が暮らしていました。第2展示室では、その生活の
   様子をモニターのスライドショーや、桟橋と銀座通りのジオラマ ( 1/150スケー
   ル ) で紹介しています。

 

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   桟  橋
   昭和40年 ( 1965 ) 頃、この時代四阪島からは新居浜だけではなく今治にも船が
   出ていた。昭和40年、木造船「 美の浦丸 」にかわり、銅製客船「 みのしま 」が
   就航し島民の脚となつた。新居浜今治どちらにも50分かかり、運賃は片道40円
   であった。季節は春、定年者が四阪島を去る光景です。

 

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    当時の桟橋の写真

 

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     銀座通り

 

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    10 : 17  約7分の日暮別邸記念館見学を終え、玄関でお礼の挨拶を。   

 

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            一 宮 ( い っ く ) 神 社 

  大山積神 ( おおやまつみ ) 、大雷神 ( おおいかづち ) 、高龗神 ( たかおかみ )主祭神とし、
  健御名方神 ( 諏訪神 ) を配祀する。
  創建の年代は不詳であるが、古くより大山積神を祀っていたという。 和銅 2年
  ( 709 ) 、大三島より大雷神・高龗神を勧請した。義母 ( 賀美能宿禰 ) の出身地でも
  あり新居郡とは縁深い嵯峨天皇の勅願所として崇敬をうけ「 神号正一位一宮大名
  神 」の額を賜る。大正13年 ( 1585 ) に起こった天正の陣の際、毛利氏・小早川隆
  景軍の焼き討ちに遭い焼失。その後、毛利氏に不幸が続いたために祟りがおりたと
  恐れ、元和6年 ( 1620 ) に毛利氏により再建された。この際、御分霊を長門の萩城
  下に勧請し分社を建て、厚く奉ったという。宝永2年 ( 1705 ) 、西条藩松平頼純
  が現在の社殿を造営し、「 西条藩六社 」に加えた。
  現在の社殿は本殿が宝永2年 ( 1705 ) ・拝殿が明治30年 ( 1897 ) ・幣殿が第二次世
  界大戦後に建造している。 2011年に起きた東日本大震災を機に耐強診断の結果、
  2001年に起きた芸予地震で拝殿の柱が折れているところを発見した。拝殿と幣殿を
  合わせた拝殿が2017年に新築された。

 

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  10 : 32  一宮 ( いっく ) 神社境内に到着。
  神社は官庁街と接する市の中心部にあって主要幹線道沿いにあるにも関わらず、
  国の天然記念物に指定された大楠などの杜に囲まれて静寂かつ長閑な佇まいで
  あり、日頃から地元住民の憩いの場ともなっています。

      

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     拝殿で参拝する前に。

 

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    参道入口へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

  

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  屋根の高い随身門 ( 裏側 )

 

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   参道 楠木の大木が左右に並んでいる。二の鳥居の前は県道で分断されている。

 

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  平和通り( 県道 13号線 ) が、参道を横断、道路の向う側に1の鳥居ありますが
  交通量が多いので、ここからは危険なので向う側へ渡れません。
  ( 一の鳥居 第一期は元禄15年、第二期は昭和29年10月 )

 

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  あらためて平和通り( 県道 13号線 )前、二の鳥居より、参道を入ります。

 

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  髄身門  高さ約5.4mの太鼓台が通過し境内に入る。

 

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  随身像  

 

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  一宮 ( いっく ) 神社拝殿  平成29年 ( 2017 ) 秋、新築されました。

 

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       境内の大楠

 

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       国指定天然記念物 一 番 樟 一宮神社 樟群の内

  

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  楠木神社
            伝  説  小  女  郎  狸
 「 小女郎大明神 」として楠木神社にまつられている小女郎狸は、壬生川の喜左衛門狸、
 屋島の禿狸と共に、三兄妹として、伊予狸族の名門で、昔から一番楠に棲んでいた眷族
 ( 親族 ) といわれている。代々一宮神社の宮司につかえて、可愛がられていた利口な狸
 であったが、或る日、つい出来心から、初穂 ( お供えもの ) の鯛を一匹失敬したことが
 ばれて、宮司に叱られ、とうとう古巣の大楠から追放されることになった。それから間
 もなく、長い間棲みなれた一宮の森を去って、当てもなくさ迷い歩くうちに、浜辺へ出
 た。そして今漕ぎ出そうとする漁船を見つけたので、慈眼寺の和尚に化けて乗り込んだ
 その日は、大変鯛がよく釣れるので、鯛にはコリゴリの小女郎狸は、じっと目をつむっ
 て、「 南無鯛散菩薩 」と祈っていたが、足許でピチピチ躍る瀬戸鯛を見ては、空腹の
 煩悩払うべくもなく、一匹ぐらいは仏果を得ようと、そっと法衣にかくれて盗み食い
 しているところを、漁師に見つけられ「 この生臭坊主め 」とばかり、櫂をもって一撃
 をうけた途端に、化けの皮が剥がれ、尻尾を出して、せまい船の中をウロウロして、
 あわや、水葬礼になるところを、やっとのことで命が助かり、その時、小女郎は、前非
 を悔いて、「 このご恩は必ず報います。大阪へ着いたら、金の茶釜に化けますから、
 それを売って鯛の身代金にして下さい」と約束をして、漁師に恩返しをした、正直な
 狸である。 こうして茶釜の約束を果たした小女郎は、美しい娘に化けて、道頓堀や
 千日前を見物して暮らしていたが、その後、一宮の森に帰り余生を過ごした。
 現在は、「 諸願成就 」の守り神として信仰を集めている。
                         ( 楠木神社横 伝説 小女郎狸説明板より )

  

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  10 : 48  平和通( 13号線) 国領川に架かる「 ひらかたはし 」を走行中。

 

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    11 : 05   新居浜市営渡海舟黒島待合所前到着。
         ガイドは瀬戸内文化研究会の内海氏です。

         黒島ヘリー港 ~ 大島ヘリー港  

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  バスの中で、約30分ヘリーの到着を待つ。

 

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  11 : 30  乗船。

 

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  11 : 33  ヘリーは黒島港を離れてゆきます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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  11 : 47  新居大島が近ずいてきました。

 

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  11 : 54  大島ヘリー港に上陸。 

          新居 大島 史跡めぐり

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  11 : 56  「 大島史跡案内図 」 ( 監修/ 大島交流センター・内海 清慈・内藤 武 ) 前で
  内海氏による史跡の説明。  

  

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12 : 01  約5分、大島史跡の説明を終え、 昼食の場所へ、村上さん ( 村上邸・庄屋の
     子孫にあたる方 )  の案内で 大島交流センターへ。

 

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  大島福祉センター ( 旧大島小学校跡 ) 

 

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    12 : 10  大島交流センター到着。

 

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     検温チェック。

 

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2階、畳の部屋でお昼のお弁当をいただきます。

 

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     12 : 53 昼食を終え大島交流センターを出発。 

 

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      旧大島小学校正門を出て地蔵堂へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

        地蔵堂 ~ 仏海上人作仏像 ~

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        地蔵堂入口。

 

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     12 : 56  地蔵堂前。

 

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    市指定文化財 ( 彫刻 )  海上人作仏像
                      昭和五三年 ( 一九五三 ) 四月六日指定
  伊予北条猿川 ( 現 北条市 ) 出身の木食 ( もくじき ) 僧・仏海上( ぶっかいしょうにん ) 
  ( 字 ( あだな ) は如心 ) の作である。
  上人は日本中回国修行のかたわら多くの仏像 ( 地蔵菩薩 ) を彫刻して有縁の人々に
  布与した。寛保三年 ( 一七四三 ) には、仙龍寺 ( 宇摩郡新宮村 ) で仙体の刻像を成
  就している。 それから二年後の延亭二年 ( 一七四五 ) には、当地で百体地蔵尊
  刻み、これで三千体に及ぶ地蔵尊の彫刻を成就している。
  堂内には百体の他、村内の信者にほどこされた小像 ( 地蔵立像 ) も二体納められて
  いる ( 背銘「( カ ) 木食如心作」とある ) 。
  尚、この仏海上人は、明和六年 ( 一七六九 ) 土佐入木村 ( 高知県室戸市 ) で土中入
  定 ( にゅうじょう ) を果たしている。
                             新居浜市教育委員会

 

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       施錠された厨子の中に百体地蔵尊が納められています。

 

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     13 : 01  約五分間の地蔵堂 市指定文化財の見学の後は、御番所跡へ。 

 

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     13 : 05  御番所跡。

  

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        石碑は風化して文字は読み取れません。

 

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  江戸時代初期に設けられた関所跡。

 

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  13 : 09  御番所跡から、村上邸へ。

 

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  右、電柱の角を右折。

 

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   左は大島公民館、その先を左折。

 

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     白壁造りの土塀が見えてきました。

             旧 庄 屋 村 上 邸   
   この島の庄屋を勤めていた村上邸は、江戸時代初期の木造建築で、堅格子の窓・
  厚手の白壁造りなど、重厚なもので、周囲に土塀をめぐらし、天井なしの15畳の
  広間などがあり、また西条松氏が参勤交代の際に、その途中船を大島に碇泊させ、
  村上庄屋邸に休息したもので、そのためめの藩主専用の御成門があり、藩主腰かけ
  石などが、残っている。 

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     13 : 15   村上邸前に到着。

 

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         村上邸玄関の家紋入り鬼瓦

 

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     ふだんは、鍵がかかっている村上邸ですが今日は空けてもらっています。

 

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  13 : 17  村上さん ( 当家の子孫 ) の案内で邸内へ。

 

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  玄関先でお話を伺います。

 

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  はじめに、お庭から中の様子を見て回ります。

 

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     お庭からの様子です。

 

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    ご当主の案内で玄関からお部屋に。

 

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  この部屋は昔天井がなかったそうです。  

 

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  水軍用の長い槍や鉄砲が展示されています。

 

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    この箱には提灯が入っています。

 

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  玄関を出た左側の門は、開かずの門 ( ここが御成門跡? )

 

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   お屋敷の右側のお庭にもバクチノキがあります。

 

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  13 : 38  村上邸の前で全員集合を待ちます。

 

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  13 : 42  毘沙門堂前。

 

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     毘沙門堂 ( 毘沙門天多聞天 )

 

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     ご本尊に毘沙門天を祀り、左右に七福神を配している。     

 

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         お堂の左側に上野若狭守 ( 1590~1610 ) の祠と
         小さな墓標がある。( 奥方を葬る際に建てた祠 )

 

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  八幡神社  

 

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  バクチノキの群生地
  大島八幡神社は、平安時代前期 貞観元年 ( 859 ) に創建され、本殿は元禄5年
  ( 1692 ) に建立さた。神社にはバクチノキが群生しており、準天然記念物になっ
  ている。樹皮は灰褐色であるが鱗片となって脱落し、その幹膚は紅黄色となる。
  即ち博奕のとき不意に金銭を失うように、その樹皮の時ならず脱離する様が似
  ていることから生れた名称である。バクチノキはバラ科に属するもので、この
  大島に数十本もあるが、他にはあまり見ない。しかも太く大きい。 

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       石段を上がると、境内には八幡神社・大元神社が建ってます。

 

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  八幡神社拝殿

 

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八幡神社神殿 ( 素晴らしい彫刻が施されています )

 

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    市指定文化財 ( 建造物 )  大元神社本殿
                   昭和五二年 ( 一九七七 ) 四月七日 指定
  「 西条̪誌」には、大島八幡宮の項に、厳島明神恵美須 ( 2ヶ所 ) と共に末社として
   紹介してある。
   大島は古くから皇室と関係が深く、室町時代には伊勢神道の流れを受けて大元神
   ( 国常立尊 ) を祀ったとされている。
   当本殿は装飾も少なく簡素な造りであるが、古風な建築様式を伝える物とし貴     重である。大元明神は、八幡神社より古くから祭祀されており 享徳元年 ( 1452 )
   ごろまで明神谷に祀ってあった。文化財を大切にしましょう。
                             新居浜市教育委員会

 

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      手に色が付くか、境内のバクチノキを触っています。

    

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  14 : 22  八幡神社より海沿いの道を 城跡の見える場所へ・・・・・・・・・・

 

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  橋の上から

 

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     真ん中の山が城跡のあったところだそうです。

  

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    帰りのフェリーが港へ向かっています。フェリーと競走・・・・・・・・・・ !!

 

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  14 : 40  新居浜市営渡海船大島待合所前へ。

 

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  14 : 45  「 おおしま 7」 入港。

 

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     15 : 06  乗船。

 

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        多喜浜塩田塩田遺跡・文化財めぐり 
          明正寺 ( みょうしょうじ ) ・ 久貢 ( くぐ )屋敷

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  15 : 35  黒島ヘリー港から徒歩で明正寺へ。

           明 正 寺 ( みょうしょうじ )
   神亀5年 ( 728 ) 、伊予の豪族越智氏の創建と伝えられ、古刹で当初は「 西方寺 」
 と称した。寛永20年 ( 1643 ) 、明生 ( めいせい ) 天皇の勅命により「 明正寺 」と改
 められ、県指定重要文化財の銅銭や金銅密教法具、応量器、孔雀文金 殸、釈尊誕生仏
 金胎両界大曼荼羅密教秘法聖教、弘法大師御影像、密教伝授次第、二十五条香染麻
 袈裟、仏舎利塔と舎利器など貴重な文化財の宝庫として知られる。
  この寺には、他のサクラに先がけて3月中旬に咲き始める、東予唯一の早咲き桜で
 あり、単弁白色の美しい「 ミョウショウジサクラ 」があり、寺では「 ねはん桜 」と
 呼び、住職らが熱心に世話をしており、新居浜市文化財である。ここに多喜浜塩田
 の開祖・深尾権大輔の墓がある。 

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     明正寺山門

  

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     本堂

 

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    クリック ⇒ 2011年4月10日、新四国曼荼羅霊場 第二十九番  明正寺 参拝

 

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     薬師堂と鐘楼堂の間を上がると、市指定  宝篋印塔前にでます。

 

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         宝篋印塔 多喜浜塩田の開祖・深尾権大輔の墓 

 

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     納経所  ついうっかりと納経帳を忘れ、箱の中からバインダー用の納経と
          御本尊 御影 ( おすがた )をいただきました。

 

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     「 ミョウショウジサクラ 」ねはん桜とも呼ばれています。

   クリック ⇒ 2013年3月12日、ミョウショウジザクラ見物にお邪魔しました。
 

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     桜の周りにあった西国三十三ヶ所霊場の石仏が広い所に移動していました。

 

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     16 : 02  多喜浜ふれあい公園 駐車場。

 

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     地続きの久貢屋敷へ。

  

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     16 : 05  先ず、久貢 ( くぐ ) 屋敷に着くと目に入るのは・・・・・・・・・・

 

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    県指定 天然記念物 ソ  テ  ツ  ( 蘇  鉄 ) 
                     昭和32 ( 1957 ) 年12月14日 指定
  根回り・・・7m ・ 高さ・・・5m
  地上での広がり・・・・・・・約65㎡
  享保年間 ( 1730年ころ ) 多喜浜塩田の開祖天野喜四郎元明氏が、ここを本拠にして
  塩田の開発を進めました。
  そのときの記念にここに植えた雌株のソテツが成長し、このように大きくなりまし
  た。このようなことから、このソテツは、多喜浜塩田発祥の地を後世に伝える生き
  た記念物として、とても貴重な存在です。
  みんなで守り育てることに努めましょう。
  ソテツは、九州の南国の亜熱帯の海岸の岸壁やその近辺に生える常緑の低木、他の
  樹木のように年輪がありません。
                              新居浜市教育委員会

 

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   当時を偲ばせる石塀。

 

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     何処までも続いていたそうです。

  

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  左側「多喜浜塩田の開祖 天野喜四郎翁顕彰碑 鷲尾勘解治題」
  右側「 市指定史跡 天野喜四郎の墓」平成30年 ( 2018 ) 久貢屋敷内に移設。  

 

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   市指定 天野喜四郎の墓
   久具山中程にあった天野喜四郎元明の墓は久貢山崩落の危険が進んできた為、
  天野家十一代当主 天野市三が 平成三十年 ( 2018 ) 六月 久貢屋敷内に移設埋葬する。

 

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               天野喜四郎翁事績
    抑々
    多喜浜塩田は江戸時代西条藩領内に於ける三大事業の一つとして世に知られ、寛永元年
     長野県の人 深尾権太夫翁が起工、久貢山沿い十三間浜堤を完成したが、享保五年深尾氏
     の逝去により、広島県御調郡吉和浜の塩業家天野喜四郎翁が此の地の人々の懇請をうけ、
     来たりて久貢山の地に居を定め、塩田の築造に着手したが、享保8年の一大飢饉に遭遇
     せしため、紀州藩を通し幕府に糧米貸丁万を出願して容れられ、糧米を確保したことに
     より近郷近在の人々喜んで工事に集まり 地方民の飢えを救い一方工事は順調に進捗した
     その故をもって11年17日、喜四郎は紀州藩に召され、藩侯に嘉賞され、酒食並に御盃を
     賜る光栄に浴し、享保9年、塩田16丁6反を完成。
     続いて享保18年、塩田、宅地、田畑併せて36町1反の築造に成功し、多喜浜塩田の基礎
     を確立。
     更に次期工事を計画中、宝暦6年、初代喜四郎翁は惜しくも世を去ったが、喜四郎翁の

     夢は歴代の天野氏の手に依り二百余年の継続事業として続行され、古浜、東分、西分、
     北浜、沖浜、三喜浜併せて240町歩に及ぶ日本屈指の大塩田となったもので、初代喜四
     郎翁の功績は明治30年、第2回水産博覧会に際し、総裁大勲位彰仁親王より賞状を追贈
     される光栄に浴した。
     時移り世変わりて昭和34年、多喜浜塩田は廃止となったが、時代の脚光を浴び、工業団
     地として新しく飛躍発展を見んとする時、初代喜四郎翁の旧邸遺跡の地に碑を営み、その
     功績の一端を誌して永く後人に伝えんとするものである。
                   昭和45年弥生  
                                新居浜市文化財保存委員会 
                                委員長 合田正吉  謹志   
                                    池田窓雪  謹書 

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   久貢屋敷の見学を終え、多喜浜ふれあい公園 駐車場へ。

 

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     16 : 32  多喜浜ふれあい公園 駐車場  出発。

 

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    16 : 39  別子本舗でお土産を購入。
    17 : 12  新居浜出発 バイパス経由 で大西へ ~
    17 : 29  村上会長のおはなし・・・・・来年の周辺地方歴史探訪は、もう一度、
         新居浜 Ⅲ を予定しているそうです。これからの予定など・・・・・。
    18 : 28  湯ノ浦前で 1名 下車。
    18 : 32  会長挨拶・お世話になった、いずみ観光 川口 運転手に拍手。
    18 : 42  J A さいさいきてやで 7名 下車。
    18 : 58  大西支所 到着。 

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     お陰様で、心配した雨にも遭うことなく 新居浜市 Ⅱ  ( 日暮別邸記念館~新居
     大島・村上邸など) の歴史探訪を楽しく終えることが出来ました。

    本日の歩いた距離・・・・・約 6.3km。  歩いた歩数・・・・・10978 歩でした。