第9回 遍路道ウォーキング Part 1

 第55番南光坊〜54番延命寺〜のまうまハイランド


  
クアハウス今治遍路道ウォーキングの日です、今回は 四国八十八ヶ所霊場
第五十五番札 所南光坊から遍路道を、第五十四番札所 延命寺へ歩きました。
大方は 平坦な道でしたが 2ヶ所 ( 大谷霊園越えと延命寺への裏山 ) では
ちょっと疲れましたが無事完走。のまうまハイランドでの お弁当は 何時もより
美味しくいただきました。


     
道路沿いの大西フェスタの旗が風になびいています。ウォーキングと重複 !!
何方も参加したかったですが本日は 遍路道ウォーキングに参加します。


     
送迎バスは 野間〜大西〜波方波止浜と 集客をして、直接 南光坊へ。


  
  山門 ・・・・・・ 四天王が守護する大型の楼門 ( 正面 )


   
左側に 持国天。 ⇒ 正面を拡大。      右側の 多聞天。 ⇒ 正面を拡大


  
  山門を入って ・・・・・・ 境内より。

  
   
左側に 広目天。 ⇒ 正面を拡大。      右側の 増長天。 ⇒ 正面を拡大


  
  推古天皇御代2年(594年)勅により、伊予の国一宮で大三島に鎮座する
  大山祇神社の「供僧寺」のうちの一坊として南光坊が造立された。
  

  
  本堂。
  ご本尊は法華経第七化城喩品に説かれ、過去世における釈迦如来
  父でありまた師とされている大通智勝如来秘仏)。
  この如来大三島に奉祭される大山積大明神の本地仏とされる。
  大通智勝如来を本尊とするのは四国八十八箇所では ここ南光坊のみ。
 ⇒ 2011年8月12日、四国八十八ヶ所 第55番札所 南光坊へ参拝しました


    
    大師堂。
弘法大師像を本尊とするこの堂は、山門を入った右手にあり、第二次世界大戦時の
空襲では境内の大部分の堂宇が焼失したが、金毘羅堂とともにその戦禍を免れた。
伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落とされたが、そのいずれもが
この堂の屋根を滑り落ち、堂内にいた避難者の全員が無事であったという。
  ( 平成22年1月22日〜10月25日南光坊大師堂保存修復工事期間 )
  平成22年11月19日、落成法要が行われました。


  
  別宮 大山祇神社拝殿。
和銅五年 ( 712 ) 大領の越智玉澄公により、伊予一の宮大山祇神社
地御前 ( 別宮 ) として創建された。
現拝殿は、天正三年 ( 1575 ) 来島城主の来島 ( 越智 ) ( 村上 ) 通総が
再建したもので、当地方唯一の純和様神社建築で県指定有形文化財です。
四国八十八箇所の55番札所は大三島大山祇神社であったが、鎌倉時代
以後は当社付属の別当寺・光明寺が札所とされた。
明治初年に現在の南光坊として分かれ札所も移ったが、現在でも境内は隣接している。
 ⇒ 2011年4月7日、四国曼荼羅霊場第四十番札所大山祇神社へ参拝


  


    


  
  お参りを済ませて、神社裏の大山祇公園に集合。


 
 ウォーキング出発前の準備体操。


     


  
  10時30分、南光坊山門をスタート。


   
山門を出て別宮大山祇神社前を通りこし ・・・・・・   南光坊交差点を渡り左に。


    
    今治街道へ。


   
宮脇交差点前で信号待ち。JR予讃線の高架下を抜け、交差点で またまた信号待ち。


    
    北高前。


    


    


   
大谷霊園を上って ・・・・・・       上って ・・・・・・


   
更に左に曲がって ・・・・・・       今度は右に曲がり ・・・・・・

  
  大谷霊園を越えると下り坂です。


   
緩やかな下り坂は楽ですね。         道端の小さなお地蔵さま。


  
西瀬戸自動車道 ( しまなみ海道 今治IC〜今治北IC 高速道路 ) 高架下へ。
ここからは 平らな道が続きますと ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・


        
        石標。


  


       
       秋の景色を楽しみながら ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・

  


  
   ⇒ 旧野間郡八十八ヶ所 第五十六番薬師堂 ( 今治市阿方・笠坊 )へ 。 
  現在は跡形もなく廃堂になっています。


   
   道しるべと お地蔵さま。


  


   
このあたりまでは楽に歩けましたが ・・・・・・  また 登坂に、突き当りを左に曲がると。


    
⇒ 旧野間郡八十八ヶ所第五十五番阿弥陀堂へ。 現在は廃堂になっています。


   
まだまだ 登坂は続きます。


 
 市街地にある五十五番札所南光坊から山坂越えて ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・
やっと第四十四番札所延命寺の仁王門その右上に梵鐘が見えてきました。
今治市指定の文化財。宝永元年つ1704)、当時の住職が私財を投じて鋳造し
たもの。周囲には延命寺円明寺)の由来が刻み込まれている。
この近見二郎は現在は引退しており、近見三郎が代わって使われているが、
年1回の除夜の鐘では二郎の音色を聞くことが出来る。   ⇒ 梵鐘 近見二郎


   
11時12分、梵鐘 ( 現役 近見三郎 )前で、ゼッケンを確認 ( 10時30分、南光坊
出発して約42分 )やっとゴールに辿り着く ( ちょっと大袈裟かな ・・・・・・ )
  

  
  仁王門。


        
 仁王門を入り、山門の左側に、徳右衛門道しるべ 江戸 ( 1800年頃 ) 時代。


  
延命寺山門。
この門は、元 今治城 々門の一つで その建造年代は不明であるが、一説では、
天明年間の建造だとも言い伝えられ、明治三・四年に 今治城を取り壊した時
当山へ譲り受けたものである、  阿方文化連盟 の立て札が。


  
山門を入る、正面の本堂は改修工事の為、すっぽりとブルーシートに覆われています。


        
寺伝によれば、聖武天皇の勅願を受けて養老4年(720年)に行基不動明王を刻み
堂宇を建立して開基。弘仁年間(810年〜824年)に空海弘法大師)が嵯峨天皇
勅命によって再興し、不動院圓明寺と名付けたという。
かつては現在地の北の近見山にあって、谷々に百坊を有し信仰と学問の中心であった。
しかし、再三戦火に焼かれて境内を移転し、享保12年(1727年)に現在の地に移転した。


  
本堂改修工事で、御本尊「火伏せ不動尊」は納経所横の仮安置所へ。


  
納経所を左に、石段を上ると。


   
正面に大師堂。             右側に 近見山延命寺開祖行基菩薩供養塔。


  
  大師堂。
2011年8月12日、四国八十八ヶ所 第五十四番札所 延命寺へ参拝しました


  
  急いでマイクロバス駐車場へ。


   
参道沿いの道しるべ天保12年 ( 1841 )    こちらは風化して殆んど読み取れません。


  
  先着順に バスに乗り のまうまハイランドへ。


  
  11時45分、のまうまハイランド到着。


  
  みどりの広場や・・・・・
  

  
  いこいの広場でお弁当。


   
   まきば館。


 
 乗馬広場。12時から1時まではお休み。


  
  のま馬さんも鞍を外して休憩中。


      
      わんばく広場の横を上り。


  
  赤岩へ。
          

        
昔、「銀さん」という人がいました。ある朝、となり村の親戚の建て前に、
お祝いの品(米・酒・鯛)を持っていこうと、この赤岩のあたりを通っていると、
急に眠気がしてきました。そして、目の前に何か正体のはっきりしない化け
物が現れました。銀さんは、もう親戚の家の近くまで来ているはずなのに、
いつまでたっても赤岩のあたりの山の中をうろうろするばかりで、とうとう
夕方になってしまい、結局いつの間にか自分の家に帰って来てしまいました。
今でこそ、明るくなっていますが、昔は木がうっそうと茂り、狸や狐が・・・・
大入道や娘さんに化けて出るなど、人を化かすには格好の地であったようです。
この赤岩が見方によっては人間の横顔のように見えることから、このような
伝説ができあがったのではないのでしょうか。


  
12時15分、遠くまで足を延ばし過ぎた様です急いで駐車場へ。


      
     12時30分、のまうまハイランドを後に、彩采来て屋へ出発。


  
  JA 彩采来て屋で買い物。


   
赤いほおずきに遠い昔を思い出す。


  
1時18分、クアハウス今治に到着。ウオーキング完走承認印を押してもらいます。
温泉へ入る前に、桜井沖浦のコスモス畑へ。
今日一日の歩いた歩数・・・16,672 歩。   歩いた距離・・・約12.7 Km 。