2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
四国霊場 第二十五番 宝珠山 真言院 津照寺弘法大師が 大同2年 ( 807 ) この地で教えを説いていた時に開た お寺だそうです。 地元では「津寺 ( つでら )」と呼ばれ親しまれていする海で働く人の無事と豊漁を 祈願して延命地蔵 ( 揖取地蔵菩薩 ) が安置され…
四国霊場 第二十六番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 室戸岬の最御崎寺に対して「東寺」として親しまれている。 大同2年(807)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基した。 標高約150mの高台に建ち、室戸岬と太平洋を望む事が出来る。 ⇒ 金剛頂寺 ( 二十六番札所 …
四国霊場 第二十七番 竹林山 地蔵院 神峯寺 「真っ縦」と呼ばれる急勾配の山道が続く神峯山の山頂付近にある神峯寺。 神功皇后が戦勝を祈願する事を目的に、 天照大神などの諸神をまつったことからと言われています。 本堂大師堂へと続く約150段の石段の両脇…
四国三十六不動霊場 第十五番 八流山 極楽寺 ( 波切不動 ) 極楽寺略縁起 往昔弘法大師は当地において修行され、今の千丈岩という岩場は お大師様が修行の一時のいこいとして衣を洗い汗を流された所だと言われています。 このお大師様の霊跡に、先住僧師が民…
四国霊場 第二十八番 法界山 高照山 大日寺 略縁起 天平年間(729〜746)、聖武天皇の勅願より行基が開基した大日寺。 明治四年には廃仏毀釈のあおりを受け廃寺となるが、 その間も地元の人たちは本堂を護り続け、明治17年に再興した。 奥の院近くの湧水は万病…
四国霊場 第三十二番 八葉山 求聞持院 禅師峰寺 略縁起 神亀年間 ( 724〜729 ) に、聖武天皇の勅願により行基が建立したとされている。 弘法大師は大同2年 ( 807 ) に来錫し、 土佐の海の安全祈願をしながら十一面観世音菩薩を刻んで本尊とした。 土佐藩主…
四国霊場 第二十九番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 「諸国で最もよい土地を選んで建てよ」という 聖武天皇の勅願により、 天平13年(741)に行基が建立した。 この一帯は土佐日記の作者・紀貫之が国司として4年間滞在した場所としても 知られている。境内には数多く…
四国霊場 第三十番 百々山 東明院 善楽寺 略縁起 善楽寺は土佐神社の別当寺として大同年間 ( 806〜810 ) に弘法大師により建立 明治初期の神仏分離で廃寺となり、本尊の阿弥陀如来と弘法大師像が、 南国市の29番札所国分寺に移された。善楽寺の廃寺により、 …
四国霊場 第三十一番 五台山 金色院 竹林寺 略縁起 神亀元年 ( 724 )、聖武天皇が 唐の五台山で 文殊菩薩に拝する夢を観た。 天皇は行基に五台山に似た山を探すよう命じたところ、 この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩を刻みね山上に堂宇を建立し…
四国三十六不動霊場 第十七番 朝日山 宗安禅寺 ( 川上不動 ) 略縁起、 当山不動明王は、往昔鏡川上流の領家の郷にあったとされる、 ある年の洪水で流されて、寺の前の鏡川の大藤の蔓に掛かり当山に安置されたと 伝えられている。その伝承から川上不動尊の名…
四国三十六不動霊場 第十六番 天法山 南光院 極楽寺 ( 身代不動 ) 略縁起 開山 喜道和尚が若年修行中、霊山に篭り、滝にて修行のみぎり、 不動明王の霊示を受け一宇を建立されました。本尊不動明王和尚感得せし霊像にて、 身代わり不動として、参拝者や信者…
四国霊場 第三十三番 高福山 雪蹊寺 四国霊場に二つだけある禅寺のうちの一つ。 延歴年間 ( 782ー806 ) に弘法大師が開山。もとは「高福寺」と言っていた。 その後「慶雲寺」となったが廃寺となる。 鎌倉時代高名な仏師運慶とその長男湛慶がこの寺に滞在し、…
四国霊場 第三十四番 本尾山 朱雀院 種間寺 略縁起 創建は6世紀後半までさかのぼるほど古く。敏達天皇のころ、 大阪四天王を建立する為に、百済 ( 今の韓国 ) の技術者が、帰国の途中 暴風雨に襲われ、この地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して 薬…
四国霊場 第三十五番 医王山 鏡池院 清滝寺 略縁起 弘法大師の高弟で、平城天皇の第3皇子高岳法親王ゆかりの寺としても 知られ、境内の一角に、生きているうちに作る墓・逆修塔がある。 藩政時代には、藩主山内家の帰依が厚く、大いにさかえた。薬師如来像…
四国霊場 第三十七番 藤井山 五智院 岩本寺 ⇒ 藤井山 五智院 岩本寺縁起 午前9時30分、寺より少し離れた場所に駐車、納経帳を入れたナップサックを背負う。 仁王門。 金剛力士像。 鐘楼と大師像。 本堂。 ⇒ 御本尊が五体、五つの真言を唱えます。 本堂には …
別格二十霊場 第五番 須崎高野山 大善寺 ( 二ツ石大師遺跡 ) ( 2012-05-05 ) 大善寺略縁起 納経所のある、有善会館からの参拝用モノレールは現在使用されていないようです。 道路沿いに建つ 大師堂。 大師堂の左側にある石段を上ります。 二ツ石大師 ぼけ封…
四国霊場 第三十六番 独鈷山 伊舎那院 青龍寺 略縁起 延歴23年(804) に唐に渡った弘法大師が、帰国にあたり、 日本にも唐の青龍寺と同じものを建立したいと考え建立した。 仁王門から本堂までは170段という急で長い石段が続く。 漁師町宇佐の海上安全を祈願…
民宿 西田屋 ( 2012-05-05 ) 午前5時45分、足摺岬の向こうから朝日が昇る。 午前5時49分、釣り舟が港に入って来ました。 朝食の時間には まだ間があるので港まで。 この大きな伊勢海老は、足が取れて B級品だそうです。 何気なく見上げると 西田屋さんの…
四国霊場 第三十八番 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 弘法大師が修行したとされる四国の最南端・足摺岬突端に位置する。 弘仁13年(822)、弘法大師が、嵯峨天皇より勅願を賜り堂宇を建立した。 12万平方mの広大な敷地面積を誇り、 この寺がいかに厚いしんこうを受…
5月の連休、4日〜5日の 2日目は9ヶ寺、慣れないカメラで、撮るのがやっと言うところ、 ぎごち無い写真ばっかりで〜す・・・・・・・早く慣れないとね。
四国霊場 第三十九番 赤亀山 寺山院 延光寺 神亀元年(724)、聖武天皇の勅願をうけて 行基が開基、 当時は亀鶴山 施薬院 宝光寺と称していた。 延歴14年(795) 弘法大師が来錫し、 桓武天皇の勅願所として、日光・月光の両脇待を安置して、 札所に定めて再興し…
四国霊場 第四十番 平城山 薬師院 観自在寺 第51代平城天皇の勅願所として、大同2年(807)に弘法大師が開いた。 本尊の薬師如来と、阿弥陀如来、十一面観世音菩薩は、大師の自作と 言われています。平城天皇、嵯峨天皇は親しく行幸され、御朱印を下し、 一切…
四国別格二十霊場 第六番 臨海山 龍光院 福寿寺大師四国の各地で御修行の砌、当地に立ち寄られ僻地故に都の文化の恩恵影薄きを憂い、 四国八十八ヶ所の霊場を発願され大同年間に御願成就され 堂宇を建立されたお寺 百十一段のの石段 石段の中腹に建つ金剛力…
四国霊場 第四十一番 稲荷山 護国院 龍光寺 略縁起 大同二年 (807)、弘法大師はこの地で稲を背負った老人に出会う。 大師はその動言から老人を五穀大明神の化身であろうと悟り、 稲荷明神像を刻んで安置し、開基した。その後、神仏分離令により、 新しく本堂…
四国霊場 第四十三番 源光山 円手院 明石寺 現在は「 めいせきじ」と呼ばれていますが、本来の名は「あげいしじ」で、 その由来は、昔若く美しい女神が 願をかけ 深夜 大石を運んでいるうち、 夜が明けて来た事に驚き消え去った。その様子を詠った御詠歌の「…
四国霊場 第四十二番 一果山 毘廬舎那院 仏木寺 大同2年 ( 807 ) 、弘法大師はこの地で牛を引いて歩く老人に出会い、勧められて、 牛の背に乗って進むと、唐を離れる際に有縁の地を求めて東に向かって投げた 宝珠が楠の大樹に掛かっているのを見つけた。 そ…
別格二十霊場 第八番 正法山 永徳寺 ( 十夜ヶ橋 ) 今から 千二百有余年前、弘法大師が四国巡錫中、この辺りにさしかかった時、 日が暮れてしまい、泊まるところもなく、空腹のまま小川に架けた土橋の下で 野宿されました。 わずか一夜のことではありましたが…
別格二十霊場 第七番 金山 出石寺 ( 大師雪中修行跡 ) 出石寺略縁起・・・開創は養老二年 ( 718 ) 6月18日、旧宇和郷田中庄に住する 猟師作右衛門が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、その後を追うて山に登り、 まさに鹿を射殺そうとしたところ、突然全山振…
5月4日から始めた 四国霊場・四国別格二十霊場・四国三十六不動霊場、参拝、一日目がやっとまとまりました。
何んと雨の予報が今日もいいお天気です。午前中は 足のリハビリ予約で整形へ、 お天気が勿体ないと、少し早目の昼食を済ませ、12時5分自宅出発、 今治湯ノ浦IC〜1時8分 大野原ICでおり、三豊市河内 山里深く入ると、三十六不動 第二十九番 明王寺 ( 河内…