大山祇神社 拝殿 ( 国の重要文化財 ) 室町時代の応永34年(1427年)再建、慶長7年
( 1602年 )大修理。 素木造で屋根は切妻造檜皮葺。正面中央に一間の向拝を設ける
今年も恒例の紺原地区 大山祇神社参拝に参加しました。
神社境内には大西町内 ( 山之内地区・脇地区・別府地区・九王地区・紺原地区 ) の
人が集まっており神前において合同で御祈祷を受けた後、御神酒をいただいてから
それそれ地区ごとに研修地へと向かいます。
紺原地区は、岡山真備町の水害被害の状況を車窓視察 ⇒ 農産物直売所 農マル園芸で
お土産等の買い物と園内の花々を鑑賞 ⇒ 倉敷美観地区では美しい掘割と柳並木や
川辺の風景、白壁の蔵や屋敷など素晴らしい風景を追っかけて歩き楽しかった思い
出を写真に残しておきました。
7: 10 矢代モータース駐車場集合。( 1号車、32名、2号車、35名 )
7: 13 1号車より矢代モータース前駐車出発。
7: 23 今治 I C ⇒ しまなみ海道 ( 西瀬戸自動車道 ) へ。
7: 43 大三島 I C ⇒ 国道317号線 から 県道21号線へ。
7 : 50 道の駅 御島前 おみやげナガノ駐車場到着。
大山祇神社 二の鳥居前。
( 因みに 一の鳥居は瀬戸内海に面した宮浦港の大山祇神社参道入口前にあります )
総門
総門を入ると広~い境内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天然記念物 乎知命 ( おちのみこと ) 御手植えの楠の前に、特設能舞台が設置されて
います。今夜、「 2019 第21回 しまなみ海道薪能 」が披露されます。
2019年 ( 令和元年 ) 7月22日 ( 月 ) 愛媛新聞より ↓ クリックすると拡大
21日夜はあいにく雨天で屋内開催となり、今まで大山祇神社で開催されて
きましたが、今治市伯方町叶浦の市伯方開発センターに変更となりました。
神門
拝殿
部落名と代表者が読み上げられ、拝殿の右側入口から拝殿内へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5部落合同での御祈祷の為座る場所を探して端迄 !! 約20分、御祈祷が終了しました。
可愛い巫女さんから、ひとり々、御神酒をいただきます。
9: 01 大山祇神社前 おみやげナガノ駐車場 出発。
9: 11 大三島IC ⇒ しまなみ海道、多々羅多大橋を渡り生口島へ。
高速道路よりバス左側窓越しに因島辺りの眺め、向こうの島は生口島。
尾道城 ( 尾道歴史博物館跡 ) や、大宝山 千光寺が見えてきました。
福山西 IC ⇒ 山陽自動車道へ。
10 : 08 道口サービスエリアで10分間のトイレ休憩。
10 : 23 玉島 ICを出て右折。水害被害の車窓視察に向かいます。
2018年7月7日、平成30年7月豪雨で支川の高馬川・真谷川 ( またにがわ )・ 未政川を
含め8ヶ所で堤防が決壊し、倉敷市真備町の約12平方キロメートルが冠水4000棟以上の
建物に浸水した。小田川が、本川の高梁川に合流する箇所で、バックウォーター現象が
発生したものとされる。また、矢掛町では約6000棟、市原市では約3000棟に浸水、被害にあいました。
立派なお家がたくさん空き家になっていて、何とも言えない水害の恐怖を感じました。
県道186号線より川辺橋西交差点を直進、高梁川の流れを見ながら川辺橋
( 国道486号線 ) を渡る。
川辺橋東交差点を左折、農マル園芸吉備路農園へ向かいます。
10 : 52 農マル園芸吉備路農園到着。
農マル園 芸吉備路農園 案内マップ ↑ クリックすると拡大します。
レジ待ちの長い列が ・・・・・・・・・・・・・・・ !! ガーデンズ カフェ オキッチン
突き当りまで行って引き返しま~す。
大きくて美しいムクケの花があちらこちらに咲いていました。
バラがよく似合うお二人で~す。
いろいろの種類の珍しい草花を鑑賞・・・・・・・・・・・心が安らぎました。
11 : 20 買い物を済ませて、農マル園 芸吉備路農園駐車場出発。
12 : 00 倉敷市バス専用駐車場 到着。
倉敷美観地区 観光案内図 ↑ クリックすると拡大します。
倉敷市バス専用駐車場前倉敷中央通りを横断左折し、次の信号美観地区入口信号を右折。
倉敷物語館
「 倉敷物語館 」は、旧東大橋家住宅を倉敷市が改修したもので、平成21年4月に
開館致しました。建築年代は江戸期とされ、格式ある造りの長屋門や土蔵は当時の
風情を現代に伝えています。
この「 倉敷物語館 」は倉敷美観地区の玄関口に位置し観光客と市民の皆様の交流
活動の場として、又倉敷美観地区の成り立ちや倉敷市の文化、観光資源などを紹介
する施設として活用されています。
ここ「 倉敷物語館 」で倉敷の魅力に触れていただくとともに、旅の良き思い出を
つくっていただければ・・・・・・・と願っています。
敬白 倉敷物語館 館長
( 倉敷物語館 前の駒札より )
左側は、れすとらん亀遊亭 亀遊亭入口のお庭で
倉敷川 白鳥の親子 ( アンデルセンのみにくいアヒルの子を思い出す )
白鳥が突然 滑るように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今橋の下へ
今橋と、左側 旧大原住宅と右側 有隣荘。
今橋の向こう側で白鳥が来るのを・・・・・・・・・・・・柵があったようです。
露店の出ている川沿いを ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中橋へ
中橋の中程で今橋を眺める。
中橋
倉敷考古館
昭和25年 ( 1950 ) 江戸時代の土蔵造り米倉を改装して会館。側面壁の貼り瓦の美し
さは倉敷を象徴する蔵として ポスター・切手をはじめ、様々なデザインにも使用され
ている。内部の展示品は 「 吉備 」地方である岡山県と周辺一帯を中心にした遺跡から
発見された遺物が中心で数多くあります。
遺物は旧石器時代から鎌倉・室町時代ににも及び、大変珍しいものとして、台付家形
土器・金蔵山古墳出土の様々な鉄器・奈良時代の墓地買地券・国指定文化財の三彩壺
などが有名で、寄託されている南米ペルーの古代土器も展示されています。
川舟乗場
かって物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川。その風情を味わえる
観光川舟が運航されています。
もう12時23分、どこか美味しそうな食事処を探してお昼食を・・・・・・・・
白壁通りの前神橋手前、高砂橋 ( 旧今橋 ) を向こう岸へ渡り右折。
倉敷デニムストリー
倉敷デニムストリートは、2014年11月にオープン。倉敷の児島地区が国産ジーンズ
発祥の地であることにちなみ、児島産のデニム製品や、デニム製の小物雑貨や装飾品
などを取り扱っています。また、店頭ではデニムをイメージしたラムネ味の「デニム
ソフト」、「デニムまん」など、デニムにちなんで青系の色に仕上げた軽食を販売し
ています。
路地の奥には「 星野仙一記念館 」があります。
日本郷土玩具館
向こう岸の風景
向こう岸を眺めながら中橋へ引き返す。
橋を渡ると川舟が中橋の下へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通り抜けたので追っかけて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川船のよく見えるところで写す ( こちらを向いて手を振ってくれました )
道に迷うと困るので、中橋を中心に行動、中橋から今橋へ・・・・・・・・・・・
食事処 つる形
この建物は一七四四年 徳川八代将軍綱吉の時代に建てられた商家で
重要文化財大原邸等と共に倉敷に現存する最も古い建物です。
庭内の松は 樹齢四百有余年を誇り 厨子二階の大広間は往時の繁栄を
忍ばせます。 ( 食事処 つる形 説明版より )
国指定重要文化財旧大原家住宅
倉敷は,江戸初期以来の幕府直轄地でした。倉敷川の水運を利用して経済力が
高まり,江戸後期には「新禄」と呼ばれる新興勢力が台頭し,それまでの「古禄」
と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,社会的地位を確立してきました。
こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋として,
旧大原家住宅と大橋家住宅の2つの町屋が,国の重要文化財に指定されています。
屋敷構えは互いに全く異なるものの,主屋等の建造物は両者ともに18世紀末におけ
る倉敷町屋の代表的な形式を示しています。
旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築
され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火
の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻
造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子
といった倉敷独特の意匠も備えています。 蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張り
つけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは
非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。
有隣荘 ( 美しい緑色の瓦屋根とオレンジ色の壁のコントラストが美しい )
大原美術館の創立者で実業家の大原孫三郎が、家族で住むために建てた
旧別邸です。「緑御殿」と呼ばれていることでも有名で、美しい緑色の
瓦屋根がお出迎え。瓦職人の腕の良さとセンスの良さがわかるステキな
建物です。
今橋の写真を撮っているとガイドさんが色々と教えてくださいました。
今 橋
大原美術館と旧大原家住宅・有燐荘の間を挟んで流れれる倉敷川を結ぶ橋です。
大正15年 ( 1926年)昭和天皇が皇太子だった時に、倉敷訪問に合わせて架け替え
られた橋で、小島虎次郎がデザイン 石柱の頂部には皇室の紋章 菊があしらわれ、
真ん中の龍は正面を ( 正面を向いている龍は珍しいそうです ) 向いています。
龍の爪も5本あり ( 従来は3本 ) 、中国では皇帝の印だそうです。
橋の内側が 線彫り、外側が浮彫りになっています。
旧大原家住宅と有隣荘の間の道を真っすぐに行くと観龍寺です。
ちょっと横道へ・・・・・・2階の丸窓が特徴、ななまこ壁の外観が印象的 !!
「 YOMMOGI 本店」ちょっと覗いてみました。
誓願寺
美観地区から入った本通り沿いに位置する「 浄土宗 誓願寺 」は嘉永2年 ( 1849 ) に
建立されました。本堂は、倉敷で最も古いとされています、天皇所緑の菊の瓦門が目印
の門構えをくぐり、まっすぐ進むと 今度は寺名である " 誓 " の文字が瓦に彫られてい
ます。 その名の由来は仏様の誓いである「 皆を救う 」という浄土宗の教えからだ
そうです。 もともとは中国の和尚に端を発し、その一説から岡山出身の法然上人が
43歳で " 南無阿弥陀仏 " を唱えたのが始まりとなり、この地に浄土宗が根づきました。
ここに佇んでいるとその荘厳な雰囲気に心が洗われます。日頃はつい、自分がじぶんが
となりがちですが、自然や家族等の「 おかげがあって生きている」ということを気づか
せてくれ、競争心や計算する心、我先にという気持ちが薄らいでいきます。
観光地でない為、境内は一般公開されていません。
入ってみたかったのですが残念 !!
真っすぐ行くつもりが脱線この角を左折すると目的地の観龍寺です。
正面は鶴形山隧道
鶴形山隧道と左に「 寶壽山 観龍寺 」
倉敷騒動史跡
慶応二年四月十日、立石孫一郎の率いた長州藩からの一隊は代官所を襲撃、
観龍寺に陣屋を設けて物資を調達した。
山門左側小門の鴨居にある槍の突きあとはその史跡として現存している。
( 観龍寺山門脇の駒札より )
別格本山 観龍寺 山門
観龍寺由緒 宗派 ・・・真言宗 御室派。 山号 寺号・・・宝寿山 観龍寺。 寺格・・・別格本山。
約千年前、寛和元年 ( 985 ) 尭勢津師により、現在の倉敷市西岡に慈照院 ( 西安寺 ) の
塔頭寺院として開創。当時は北斗山宝積院と称す。
室町時代に、現在当山駐車場の地へ移転。寛永元年 ( 1624 ) 現在地に再移転。
同年宝寿山 観龍寺と改称。江戸中期、一七四〇年代に二度にわたり伽藍焼失、本堂は
寛延二年 ( 1749 ) に再建以降次第に伽藍を整備し現在に至る。
札所・・・・・・備中西国第二十九番霊場
御詠歌 つみもかも消えよと祈る観龍寺 遠きくによりまいる身なれば
( 観龍寺山門脇の駒札より )
大師堂
本堂
境内からの眺め。
倉敷市藏敷公民館
旧藏敷銀行 ( 国登録有形文化財 第33‐0028号 )
大正11年 ( 1922 ) 施工。現中国銀行倉敷本町出張所。
左側 の有隣荘と右側、旧大原家住宅の路地から見えるのは今橋と正面は
大原美術館です。
川舟が今橋前でUターンをして中橋へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイミングが悪く中々思ったように川舟の写真を撮るこも出来ません。
ふと気が付くとまわりに知っている人が誰もいないので・・・・・・・・・・・・・・!!
駐車場へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出発時間まで1時間余りあるので、バスのドアは閉まっていました。
「 大原美術館 分館・新渓園 」入口
門を入って右側に 「 大原美術館 分館 」左側に「 新渓園 」
大原美術館分館
新渓園
新渓園を通り抜けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
門から外に、倉敷川へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
倉敷川へ出ると、川舟が今橋の方へ向かっています・・・・・・・・・・・・・・・・
今橋の上で待っていると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
橋の手前でUターン
中橋へと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大原美術館 入口。
バスの出発までには まだまだ時間があるので、蔦のからまる・・・・・・・・
「 CAFE EL GRECO 」へ。
それぞれ好みの飲み物を注文 ( 私はフレッシュジュース ) 癒しの空間でゆっくりと休憩。
お土産を買って。
駐車場へ
14 : 50 倉敷市バス駐車場 出発
白壁通り ( 前神橋 ) を走る愛媛バス左側の窓際から高砂橋が見えます。
15 : 22 山陽道を走るバスの中で、歩き疲れてついうとうとと・・・・・・・・
遠くで新幹線が走っています ( 四国では見られない風景です )
15 : 50 福山サービスエリア到着 ( トイレ休憩・買い物 )
孫にお土産を探します。
16 : 10 福山サービスエリア 出発。
17 : 08 矢代モータース駐車場 到着。
楽しかった倉敷での思い出をおみやげに家路へと。
本日の歩いた距離・・・・・5.7 km 。 歩いた歩数・・・・・9031 歩。