網敷天満宮梅林観梅会・古国分神社梅園

 

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   先週クワハウスの梅香るウォーキングで網敷天満宮へ 行った時、梅の花は満開

  でした。網敷天満宮の直ぐ近くにある 古国分神社 梅園の梅の花が見たくなって

  原付バイクで 国道196号線 ( 今治バイパス )松木交差点で左折、本当は高市交差点

 を右折し頓田川沿いを走り・・・・・頓田川橋北交差点を右折、県道38号 ( 今治街道 )

 へ出ると簡単に行けたのですが !!   だいぶ手前の信号を左折したので大変 ・・・・・・・

 直進すると海岸へ出てしまいました。日本食研製造 ( 株 ) と富田海浜プール 間の

 道路を通り抜け、東村海岸公園沿いを ( 寒かった~ ) 走り右折頓田川沿いを引き

 返し頓田川橋北交差点を左折、やっと県道38号 ( 今治街道 ) へ、古国分神社への

 道筋が・・・・・・・・?、 先に網敷天満宮へお詣りし温かい飴湯のお接待に心も身体も

 ポッカポカになりました。 古国分神社は海岸通りから行くと直ぐに分かりましたが

 天候のせいか今年は花の色がどこか違って見えました。

 

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     網敷天満宮拝殿

 

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     午前十時より拝殿に於いて道真忌祭典が あったそうです。

 

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      絵馬堂前のウシさんも今日は賑やかでうれしそう !! パンダの帽子を

      かぶった坊ゃと可愛いね。

 

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   絵馬堂では、あめ湯のお接待無料の張り紙あり。

 

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   皆さん美味しそうにいただいています。

 

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    私も絵馬堂の中で温かい あめ湯をいただきました。

 

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   絵馬堂の裏ではうどんの美味しそうな匂いが漂ってきま~す。

 

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    手際よくうどんが作られています。

 

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  テントの下はもう満席・・・・・・・・・・

 

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  参道には屋台が並んでいます。

 

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   網敷天満宮梅林から古国分神社 梅園へ

 

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  古国分神社 大鳥居前へ。

 

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  古天神の由来
   宝永7年 ( 1710 ) 8月から神輿の宮出し始まる。正徳3年 ( 1713 ) の祭礼に
  別当国分寺総代僧神殿の扉を開くと鰡 ( ぼら ) が2本供えてあった。代僧は
  魚類を供える事相成らんと社人を咎める。 社人は例年の事であると答えると
  当社に限らず別当付の神社は本地仏が祀られている ( 注 神仏混淆の時代
  天満神社本地仏は観音 ) 。 仏前に魚類を供えるのは不都合なりと論争に及
  び 遂に祭礼中止、宮出しは出来なかった。尚、神主土佐太夫は代官命令で社役
  取上げ閉門となり享保4年 ( 1719 ) 迄宮出しはなかった。  当時氏子は 国分寺
  国分、旦、桜井であった。納まらぬのは松山領である旦、桜井の氏子達、別に
  天神社を祀ろうと現在の地に社殿を作り、分離してしまった。これを新天神と
  呼び、当社を古天神と呼ぶようになった。
                         古国分庄屋所記録
                       農商務省明治33年8月6日
                    第4098号検閲
                            ( 境内の石碑より ) 

 

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    参道途中の美しい狛犬さん

  

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   古国分神社 拝殿

 

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    古国分神社拝殿の扁額   「 天満宮

 

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  拝殿と神殿

 

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  古国分神社 境内の梅園

 

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   梅を見て参道を帰る途中 頭の上を鳥が鳴きながら狛犬のそばの枝垂れ梅に

 

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    メジロかと思ったらスズメでしたそれも後ろ向きで・・・・・・・・・・・・・・・!!

 

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          帰り道 可愛い やぶ椿が咲いていました。