~ 乃万史跡めぐり ~
昨日までのお天気が嘘のように青空が広がり久し振りにとっても気持のいい日に。
今月の梅香るウォーキングは、山坂を越えて乃万地区の史跡巡をめぐり、ゴールの
のまうまハイランドでお昼のお弁当を済ませ、渦潮電機駐車場より網敷天満神社
梅林へバス移動。約30分満開の梅園を歩き回りました。
10:05 大西支所集合
10:00 3号車 ( 其々の集合場所で集客 ) 到着。
大西支所でトイレ休憩マイクロ3台 ( 楠橋紋織駐車場にトイレがないので)
196号線を楠橋紋織駐車場へ。
10:25 スタート地点の楠橋紋織駐車場到着。
準備体操。
10:35 ウォーキングスタート
信号を待ちをして、横断歩道をわたります。
蓮池の左のほうに ① 熊野神社の鳥居が見えます。
☞ 石造物と野間馬の小路 右折。
熊野神社鳥居。
熊野神社注連石
熊野神社 ( 階段は使わない ) ここで手を合わせます。
熊野神社左側急な坂道を登ります。
きつい坂道です。
野間ハチス ( 蓮 ) 五輪塔 ・2基
熊野神社左上に在り、同じく国の重文に劣らぬ遺構で、総高184㎝
総高 128㎝ の2基で、共に鎌倉期の様式を備えた立派なものである。
この近くにも、かくれキリシタンの墓が2基ある。
( 石造物と野間馬の小路説明版より )
左は、熊野神社、帰りの風景です。
3km.コースは、大沢食品を右に上り野間健康広場へ下ります。
5km.コースは、大沢食品を左に上り ② 天築稲荷大明神へ。
ここから下り坂。
右、天築稲荷大明神へ。
ぐるりっと回って ② 天築稲荷大明神正面へ。
拝殿正面には鳥居が並び石段がありますが ( 石段は使わない )
来た道 ( 神社裏 ) を下ります。
剪定作業をしているのは 野間地区の会員さんのお友達 ( 同級生 ) でした。
坂道を下り右折すると「 ② 天築稲荷大明神 」正面上り口石段
③ 厳島神社 上り口石段ですか裏から入ります。
厳島神社石垣を右折。
☞ 石造物と野間馬の小路 を右折します
右 ③ 厳島神社。左 ④ 高田氏五輪塔ですが、まず ③ 厳島神社へ。
③ 厳島神社でお参り ( 石段は使わない ) ぐるっと回って・・・・・
もとの所へ。
④ 高田氏五輪塔へ。
④ 高田氏五輪塔上り口。
野間・高田氏 五輪塔
厳島神社の横道を登ると、古墳後跡に 大小2基ある。江戸初期の作であるが
文化財的価値のあるもので、重茂山城主 高田氏夫妻の墓といわれている。
( 石造物と野間馬の小路説明版より )
野間健康広場
向こうの白壁の塀を歩いているのは 3km コース人達です ( 野間健康広場から
⑤ 野間覚庵 五輪塔、⑥ 野間 長円寺跡・宝 篋 印 塔、⑦ 野間 ・ 馬場 ・五輪塔 をまわり終え
ゴールの野間馬ハイランドへ向かっています ) 因みに ⑦番 野間・馬場 ・五輪塔 は白壁塀
の右側のお家の前にあるので手前の家に隠れて見えません。
👈 石造物と野間馬の小路 ・ 野間馬場 五輪塔 ( 約100m )
👉 石造物と野間馬の小路 ・ 野間覚庵 五輪塔 ( 約310m )
右折し 野間覚庵五輪塔へ・・・・・・・・
野間寺の前を通過 ・・・・ ( 野間郡四国八十八ヶ所 第六十四番札所です )
⇒2012年2月18日、野間郡八十八ヶ所 第六十四番 野間寺参拝。
nobubachanpart3.hatenablog.com
ここを ↑ クリック
日吉神社前を右折。
ハウス手前を左折。
⑤ 野間覚庵 五輪塔2基 ( 国指定重要文化財 昭和29年3月 )
日吉神社の田地の一隅に、大小2つ並び側にソテツがあって絵のような
眺めです。大は 240 cm 余り、小は 220 cm 余りあり、鎌倉時代特有の空、
風輪をいただき、火輪屋根勾配、軒の線は真反りという工法で、まことに
見事で、水輪は典型的な壺形をなし、重厚・豪健な鎌倉調を備えています。
しかし村には これを重茂山城主岡部十郎夫妻の供養塔として祭っています。
野間の双ツ墓といわれています。
( 石造物と野間馬の小路説明版より )
野間覚庵 五輪塔の説明板に (田地の一隅に、大小2つ並び側にソテツがあって絵の
ような眺めです。) と・・・・・・ 枯れてしまったのか見当たりませんでした残念。
次は 長円寺跡 宝篋印塔へ。
長円寺跡 宝篋印塔 ( 約100m )
野 間 長 円 寺 跡・宝 篋 印 塔
( 国指定重要文化財 昭和29年3月 )
総高 360 cm の巨大な宝篋印塔である。塔身背面に銘文があり、
正中二は 1325年の鎌倉時代後期にあたる。石材は花崗岩である。
しまなみ地域特有の基礎と塔身の間に越智式と呼ばれる請座が
設けられ、相輪や笠の隅飾りの形態などから、当地方の指標とな
るものである。
銘文「 南無到来導師弥勒佛 正中二乙丑五月日
願主 比丘尼□阿 当寺本願長円 □ 也 」
( 石造物と野間馬の小路説明版より )
野 間 ・ 馬 場 ・ 五 輪 塔
( 国指定重要文化財 昭和29年3月 )
総高 233cm の五輪塔である。地輪側面に銘文があり、嘉暦元年は
平成元年の解体修理により、地輪部に人骨の埋納が確認された。また
水輪部には木製の小五輪塔が納められて、中には水晶の偽舎利と丸薬
が納められていた。
銘文 「 志者為亡妻紀氏女乃至 法界平等利益
之故也 嘉暦元年丙寅四月 □ □ □
願主 比丘 □ 春 」
( 石造物と野間馬の小路説明版より )
長~い登坂が続きます。
緩やかに見えますがかなり傾斜があるのでジグザグに歩いています。
やっと到着と思いきや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだまだ登坂が続きま~す。
ここが最後の登り坂だそうです。
最後の坂道、みんな頑張って登りました。
農免道路の向こう側が、野間馬ハイランドです。
11:45 ゴール のまうまハイランド到着 ( 昼食・自由時間 約40分 )
野 間 馬 の 記
野間馬は江戸時代この乃万地方でつくられた日本で一番小型の馬です。
特質はおとなしくてかしこく力もちです。 女の人や子供たちにも容易に
あつかえるので、愛媛県の山間部や瀬戸の島々の農家で数多く飼われて
いました。ところが、明治の中頃ごろから農用馬も軍馬にも使える大型
馬にするための政策がとられ、野間馬はだんだん減ってゆきました。
太平洋戦争後は馬に代わって農機具が普及し物を運ぶにも自動車が使
われるようになり、やがて野間馬はほとんど目にふれることがなくなり
ました。まさに絶滅寸前のこの馬を救ったのが、日本の伝統文化を大切に
しようと心がけている松山の長岡悟先生でした。先生はこの可愛い野間馬
を後世に残しておこうと考えられ 昭和三十四年 愛媛県をくまなく歩いて
野間馬を集められました。 それから十数年苦労して繁殖に成功された後、
昭和五十三年に野間馬のふるさとである今治市へこの貴重な馬四頭を寄贈
されました。今治市ではさっそく野間馬保存会をつくり、地域のみんなで
力を合わせて保存育成に取り組んできました。
こうして野間馬は絶滅の危機からまぬがれ今や郷土の文化財として、また
観光資源としても注目されています。野間馬ハイランドが整備されたことを
記念して碑を建て、長岡悟先生をはじめ関係者の皆さんに深く感謝します。
平成九年四月吉日
野間馬保存会 会長 今治市長 岡島一夫
徒歩にて野間馬ハイランド出発、渦潮電機駐車場へ。
渦潮電機駐車場
12:30 渦潮電機駐車場出発 ( 志々満梅園へバス移動 )
12:50 ファミリーパーク志々満駐車場到着。
梅園まで歩いて移動 ( 自由行動 30分 )
満開の梅林園へ。
そろそろ帰り支度。
松林を歩いて駐車場へ急ぎます。
13:20 ファミリーパーク志々満駐車場 出発。
網敷天満神社 西鳥居前を右折→ 桜井交差点を左折 →県道38号線 ( 今治
街道 ) →長沢交差点を左折、国道196号線 へ →道の駅今治湯ノ浦温泉前
温泉で疲れを癒した後休憩。
( 松木 → 中寺 → 清水Aコープ → 小泉 → 延喜 → 宅間 → 太西) 経由
16:05 太西支所 到着。
本日の歩いた距離・・・ 8.0 km。 歩いた歩数・・・ 11284歩でした。