10月歩こう会・朝倉 ( 多岐神社・竹林寺 )  

      10月歩こう会・朝倉 ( 多岐神社・竹林寺 )


  


  
  先月9月別府地区の歩こう会は雨天の為 中止に。久し振り楽しみにしていた今回は、
 朝倉の多岐神社と、竹林寺です、 県道155号線沿いの牛上古墳前を右折竹林寺の駐車場
 から、里の秋を満喫、秋の七草を探しつつ 多岐神社と愛媛県指定史跡多岐神社古墳群を
 まわり、更に林道を登り小鴨部林道への分岐点前辺りからの瀬戸内のパノラマに感動。
 景色を眺めながらお弁当をいただいた後下山。竹林寺本堂前から見る風景にも又々感動


   
   9:00  太西支所駐車場集合。


    


   
   9:03  太西支所前 出発。国道196号線へ右折。


   
   196号線より317号線を経由して155号線へ、総社川に架かる
  山手橋 を渡り今治方面の集合場所 四村ショッパーズへ。


   
   9:16  四村ショッパーズ駐車場で約10分待ちましたが
        見当たらないで次の集合場所へ。


   


  
  9:29  待ち合わせ場所 牛神古墳 到着。


   
   9:44  全員集合、竹林寺駐車場へ‥・・・・・・


  
  建設中の高速道路


   
   竹林寺参道。


   
   9:51  竹林寺駐車場 到着。


   
   歩くコースの説明と、秋の七草のプリントが配布されました。
   

   
   準備体操


   
   9:59  竹林寺前 出発。


   


  
  参道を下り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


  
  右折、多岐川沿いを歩く。


  


    


    


   


   
   多岐川に架かる宇戸橋を渡ります。


   


  
  果物や畑の作物を眺めながら歩きます。

  
  
生垣越しにブラシ草が咲いています。その上にはオリーブが実っています。
 ブラシ草 : 正式名称は 金宝樹(キンポウジュ ) まるでコップを洗うブラシの様です。
 オリーブ :(英: olive [ˈɒlɨv]、学名: Olea europaea)は、モクセイ科の常緑高木。
     日本語では稀に「橄欖(かんらん)」と呼ぶことがある。
     果実は油分を多く含み、主要な食用油の一つであるオリーブ・オイルの原料
     です。古代から重要な油糧作物として知られている。また原産地が西洋文明
     の発祥区域であった地中海沿岸であるため、聖書の記述をはじめ多くの文化
        的記録が残っています。


  


  


  


  


  


    


  


     


   


   


  


  



       


    
    10:17  多岐橋を渡ります。


  
  多岐神社大鳥居


  


  

    禰宜屋敷古墳群

 当1号墳は多伎川の左岸に造られた古墳である。現在6基が確認されている。

当1号墳は無袖の横穴石室で、副葬品には須恵器・土師器・直刀・轡・鉄鍛や身につける装身具
が出土している。石室は全長7m・幅2mあり、天井高2mが考えられる。墳丘は直径13m前後の
墳丘高3~4mが想定される。主軸方向は北30度東を採っている。遺物は美術古墳館に展示。
                          朝倉村教育委員会


    


  


    
    杯状穴(性穴)遺構
 杯状穴遺構は、古くは弥生時代から 近現代まで続けられている文化遺産と 言われています。
一説によると、遺構 の目的は、戦場や各地におもむいた男 性の帰宅を求めた精神的な祈願行為
で生じた”たたき穴”で、前者の祈願穴 に結び祈願を続けたと言われています。
                          朝倉村教育委員会
 この案内板の左下に形の違った三個の石がありましたが、ピンボケでした残念 !! 


   


  


  


  


  
   多伎神社由緒 社格 式内大社 県社
御祭神 多伎都比売命 多伎都比古命 須佐之男

 当神社は文献に「 瀧之神 」とあり、往古奥の院の磐座の信仰に始まり、崇神天皇の御代

饒速日命六代の孫伊香武雄命「瀧の宮」の社号を奉り初代の斎宮になられたと記されています。

 清和天皇貞観2年(西暦860年)神階を賜わり、大三島さん、伊曽乃さんと相並んで数度

に渉り昇格し貞観12年正四位上に昇りました。 (三代実録)醍醐天皇の延喜年間(905年)

式内大社(伊予国に七社)に列格の光栄に預かり、皇室より久しく特別の待遇に浴し国司

守護職、領主をはじめ庶民の信仰を集めました。

 江戸時代今治藩の祈願所として、雨乞祈願のたびごとに藩主の参拝あり、七日間の祈願は

中日迄を本殿で、後半を奥の院の磐座にて一社伝来のしきたりによって執り行われ、必ず

霊験をいただいたのであります。

 広大な境内地の愛媛県指定史蹟三十数基の群集古墳からは古い歴史を由緒が伺われ多伎川

の清流と照葉樹を中心とした自然林は全国でも有数、まさに神様のお座します所であります。


  
  常夜灯の間を入ります。

  
  
  八雲橋


    
    松茸石   

  多伎神社の陰陽石の一つである。

  今治藩主の命により、江戸藩邸に運んだが、藩主夫人が発病したので夢占いによると、

 元の多伎宮へ帰りたいという石の願いがあったので、また江戸からここへ帰すと、夫人の

 病はすぐ直ったという伝説がある。


  


  
  多岐神社拝殿


   
   一宮神社


   
   天満神社


   
   朝倉の巨木
    樹種 : ヒノキ   幹周り : 2.8m   樹高 : 32.0m


    
    越智神社


   
 境内を通り多伎川に注ぐ水路に架かる小さな 々橋を渡り境内社 ( 神社の
名前はわかりません ) の前を通って 県指定 多伎宮古墳群へ。


  
  愛媛県指定史跡 多伎神社古墳群 ( たきじんじゃこふんぐん )

 多伎神社古墳群は、多伎川の上流が形成した扇状地奥の谷部にあり、東西約300m、
南北約100mの範囲に分布しています。この谷間に多伎神社と15基あまりの古墳があり、
このうち横穴式石室をもつ円墳が3基開口しています。
 中でも5号古墳は大きく、直径約15m、高さ3mあまりの墳丘をもっています。石室は、
両袖式の横穴式石室で、全長は6.2m、玄室の長さ約5m、幅約1.5m、高さ約1.9mです。
構造は持ち送り式で天井石を6枚使用しています。羨道部では天井石を3枚使用しています。
 指定前にくずれていた古墳数基も横穴式石室であることから、現存する古墳も多くは同
形式(6世紀後半-7世紀前半頃)のものと見られています。 なお社殿裏の1号墳のみ、
小石を積み上げて造った積石塚と思われ、他の古墳との違いが見られます。
                      昭和34年12月25日指定
                  愛媛県教育委員会今治市教育委員会
                     

  
  多岐宮古墳 2号墳


    


    
  

  
  多岐宮古墳 3号墳


   


  
  多岐宮古墳 4号墳


    
    ちょっと覗いてみましたが・・・・・なんにも見えませんでした。


  
  もっと他の古墳も見てまわりたかったのですが時間が無いので
  次の目的地に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   


  
  八雲橋を出て車道を上ります。


  


    
    萩の花


  


  


  
  ゆるやかなカーブの登り坂が続き歩くのがゃっとで~す・・・・・・・・・・・・
  お二人,多岐神社へ引き返えされました。


  


  
ススキ               セイタカアワダチソウ


  


   
   林道へ入る。  


   
    珍しい青色をおびた葉 !! まるで染めた様ですね。


  
  

   
   林道わきにポツンと記念碑が。


   


  
  ここてちょっと一休み喉を潤おす。


     
     ウラギンシジミ ( ♀ )

    識別裏は一面銀色。表は、オスに赤橙色、メスに白色の斑紋がある
    分布本・四・九・南
    時期4~11月(多化性)
    食草クズ、フジハリエンジュなど、
    生息環境樹林地や樹林の多い公園や人家など
    庭に呼ぶために柿の実があると秋に成虫がよく集まり、常緑樹の植え
           込みで成虫越冬する
    

   


   
   箒桜の案内板の前に。


        
      箒 桜 ( ほうきざくら )
  安政六年 ( 西暦一八五九年 ) 未曽有の太旱魃(だいかんばつ)の際、今治藩主、

 松平壱伎守定綱公が多岐神社にて、前七日 後七日は奥の院で雨乞い祈禱をされた。

 その御行きの途中この地で休まれた。

  神宮串部相模正重則は路傍の枝を手折りて御座所を掃き清め奉った。

  その桜の枝を記念の為挿木したのが見事活着、成育して大樹となり長く爛漫の

 美花を咲かせた。  その樹姿が箒の形に見えたので、箒桜の名をつけて名木と

 なったが、先年の落雷のため枯死した。
  保存のために有志が挿し木した一本が活着し二世として見事な花を咲かせてほし
 いと見守って行きたい。
                  平成五年四月吉日   朝倉村 


  


  


  


  


  
  しばらく谷川沿いの道を歩く。


   


  


   


  
  右側の道へ。


   
   こちらは左側。

   
   
   曲がりくねった道がつづきます。


   


   

  
   
   路肩が崩れています。


   
   木も道に倒れかかって・・・・・・・・・・・・・・


   


 


  


  


  


       


  


       


  


  
  右側下の斜面には若木が植林されています。


  
  

    
    合同水源の森事業植樹記念


  


    


  


  


 
 11:41  左しまなみ海道から右は頓田川まで‥・・・・・・
     今迄の疲れが飛んで行ってしまいました。


 

  
 


  


   
   11:45  この先は下り坂 ( 何所へ下りるのか分かりません )
   左は玉川へ小鴨部林道への分岐点です。


       
       林道 小鴨部1号の標識 


  
  このあたりでお弁当に。


 


  
  見晴らしのいい場所に腰を下ろしておべんとうをいただきます。

 
 


  


 
 正面に見えるのは左富田新港、右は日本食研製造 ( 株 ) です。


  


  
  この先の下り坂は何所へ下りるのか行き先がわからないので。
  

  
  12:20  来た道を下山、竹林寺へ。


  


  


  


   


   


  
  林道を抜けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


  
  12:49  多岐神社前。 途中で引き返したお二人と合流。


  


  
  トイレ休憩。


  


  
  12:59  多岐橋を左折。

  
  
  帰りは多岐川沿いを歩きます。


  


   
   沢山食べて美しい蝶になるのかな、頭は下で~す。


       
       熟しすぎた烏瓜


  


  


  
  左折し宇戸橋を渡りますます。 ( 行きは宇戸橋を直進 )


  


  


 


   


  


  


  
  竹林寺山門


    
    山門の扁額「 五臺山 」


  




   


  
  本堂上り口へ。


   


   
   キツイ石段が続きます。


   
   もう足が棒のようになっていま~す。


   
   最後の石段頑張ろう。


  
  13:24  五臺山 竹林寺本堂


      新四国曼荼羅霊場 第三十九番 五臺山 竹林寺

 略縁起  この寺は天武天皇の御宇、越智大領小千守興が願主となり僧観量によって開基
された。  はじめ毘盧遮那仏を本尊とし、真如坊と言ったが、聖武天皇の御宇、天平七年
( 755 ) 行基菩薩巡化の砌、中国は五台山に模して自ら文殊菩薩を彫刻安置し、以来竹林寺
と称す。 その後、弘法大師巡錫の途、住僧観光上人が文殊菩薩百万遍の秘法を授かり、
日本三文殊霊場の一つとして今も受験生らの参詣が多く「 智恵の文殊さん 」として有名な
名刹である。  
 境内に10月頃から咲く珍しい四季桜 ( チクリンジザクラ ) があります。
  
  2011年4月7日、新四国曼荼羅霊場第三十九番五臺山竹林寺参拝  
            上クリックしてください。


  
  本堂前境内からは素晴らしい風景が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



  


  




  
  顕彰之碑


        
             顕 彰 之 碑
        臼 坂  巌 氏 を 讃 え て
  氏は明治四十一年十一月二日朝倉村古谷に生まれる  大正十二年三月 下朝倉
 尋常高等小学校を卒業後上京 不二家家具店に勤務 東京神田電気学校を卒業する
 昭和十三年 帝国無線電信電話株式会社を設立 後に社名を帝国電子工業と改称  
 テレビブラウン管の製造と技術開発に取り組む  昭和五十四年以降中国北京を
 はじめ十二ヶ所に設備プラントを輸出し 自らも巡回指導にあたる  氏は生涯
 自身を育んだふるさとに何時も温かい想いを寄せ その想いは奨学金をはじめ門口
 池の改修資金 臼坂ふるさと交流館の建築資金等郷土の発展に寄与する 平成六年
 には これらの功績が認められ朝倉村名誉村民の称号を受ける また 菩提寺の本尊
 文殊菩薩に帰依し 寺門の興隆発展に篤い信仰を寄せる  平成三年九月台風被害で
 倒壊寸前の本堂に多額の私財を喜捨し本堂新築再建の悲願を成就に導く よって本堂
 落慶に当たり深甚成る感謝と敬慕の誠を表し氏の功績を永く後世に伝える
   平成六年十一月吉日
        高野山真言宗  五台山  竹 林 寺
                      住 職  世 良 祐 榮


   


   
   おみくじ結び


   
   祗園堂


  
  本堂裏の坂道を下ります。  


  
  坂の途中右側に 太子 ( 聖徳太子 ) 堂が有ります。


  


  


   
   納経所


   


   
   大師堂・伊予府中二十一ヶ所霊場 竹林寺


        
        チクリンジザクラ


  
ポッツン ポッツンと咲いていました。


    


  


  
  駐車場へ。来月11月10日、大角海浜公園の集合場所等のお話。


   
   お陰様でとっても楽しい歩こう会でした本日は現地解散です。


  


   
   14:05  大西支所到着
   本日の歩いた距離・・・9.1Km   歩いた歩数・・・13324歩