紺原地区研修ツアー 出雲大社参拝  ( 2 )

    紺原地区研修ツアー 出雲大社参拝 2 ( 2018-07-22 )


 
 出雲大社参拝は時間の都合( 約30分 )で正式な参拝ルートでのお参りは
 出来ませんでしたが、元ベテランガイドさんの案内で、まず 銅鳥居から
 神楽殿まで、ピッタリと30分で、ひと通りあんないしてくださいました。


  


  
  12:30  さざれ石の前でガイドさんが待っています。


  
  さざれ石


     
     さざれ石の由来

     君が代は千代に八千代に

              さざれ石の巌となりて

                      苔のむすまで

  この石は通稱さざれ石といわれ岐阜県春日村の産古今集天皇の大御代の弥栄を寿ぎ

 祈りこの石の如くましませと詠われた後に一部改作されて日本の国家となりました。

 学名は石灰質角礫岩で長い年月の間に溶解した石灰石が多くの小石を集結して次第に

 大きく生長したもので誠に目出度い石であります。

  岐阜県揖斐川町の故小林宗一(号宗閑)によって発見されました。

   平成11年4月吉日      
          奉納者   岐阜県揖斐川町中町   発見者嗣子 小林文治


   


   
   神楽殿前に出ましたが、ここは帰りに参拝します。


  
  素鵞川橋を渡り出雲大社へ。


   
   ガイドさん後に続いて寺務所前を入ります。


   


  
  12:35  手水舎
       神前に進む前に両手、口を清めます。


   
   御慈愛の御神像
 これは荷物を背負った「大国主神(おおくにぬしのかみ)」が、傷ついた「兎」に手を差し

 伸べている場面を表しています。つまりこの兎の像と大国主神の像は出雲に古くから伝わる

 神話「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」を表現したものです。

 大国主神出雲大社に祀られていることと、「縁結びの物語」とも言える「因幡の白兎」の

 お話しは、ある意味、縁結び信仰の出雲大社とうまく調和がとれています。

 そのため、白兎像は出雲大社に置かれるようになったものだと考えられます。


  
  出雲大社 平成の大遷宮  ⇒   平成の大遷宮 拡大


  
  銅鳥居前へ、ガイドさんはみぎのほうを指さしています。

   
  
  「ムスビの御神像」は、「銅鳥居」の手前右手に置かれています。

 この「ムスビの御神像」は、昭和61年( 1986 )に寄進された像で「大国主神」の前に、

「幸魂(さきみたま)」・「奇魂(くしみたま)」といった「魂」が現れて、その「魂」を

頂く時の場面を表現しているそうです。


  
 日本最古の歴史書である「古事記こじき)」の中のお話では、大国主神(おおくにぬし
のかみ)が、まだ、神様になっていないころの修行中の頃です。
ある日突然、日本海の荒波に乗ってやってきた「幸魂・奇魂( さきみたま・くしみたま )」

といった「魂(たましい)たち」が、大国主神の前へ現れました。

そして、「大国主神」と、この「魂たち」との間に様々なことが起こります。その結果、この

「魂たち」のおかげで、大国主神は「 神 」として尊敬される、知識や教養を身につけます。
そして、最後には「ムスビの大神」と言う神様に。つまり、「ムスビの大神」とは、神様と
なった大国主神の別名のことです。

『ムスビの御神像』は、大国主神が、幸魂・奇魂のお蔭を頂いて神性を養われ色々な女神との

間に多くの子供(古事記では180柱、日本書紀では181柱)をもうけたことから、『 縁結び

の神様 』と言われますが、男女の縁に限らず、身に宿る幸魂・奇魂のお蔭で、私たちは色々な

縁を得て生かされているということでしょう。大国主神さえ謙虚な心でそれを自覚されたのです。

「 結ぶ 」とは、最後を締めくくること。「 産霊 」( むすひ )は、「 霊 」を生むこと。

結びは産霊に通ず=生の最期は霊を生むこと=死は再生。荒魂の最後は和魂を生むこと。今では

様々なご縁を結ぶ神として大国主は祀られています。


  
  銅鳥居
 大正八年 ( 1580 )毛利輝元によって寄進されたもの。寛文六年 ( 1666 )
損傷部分が多かったため、輝元の孫、毛利綱広( 長州藩主 ) が現在の鳥居に
造り直しました。銅製の鳥居としては、我が国で最も古い鳥居です。


  
  拝殿
 現在の拝殿は、昭和三十四年 ( 1959 ) 総ヒノキ造りで再建されたものです。
銅鳥居の下の中央に立つと、拝殿が左にずれていることがわかります。これは
御本殿の御屋根を拝することができるようにと配慮されているからだそうです。


  
  出雲大社・拝殿の歴史

 出雲大社・拝殿」は、1519年に出雲守護代尼子経久によって建立されています。

しかし、その後、1953年(昭和28年)5月に「庁の舎(ちょうのや)」などと共に、不慮の

火災(餅つき場の残り火)で焼失しています。

当時の出雲大社は火災保険に加入していなかったため、日本全国の崇敬者からの寄付金を

約1億円集めて1959年(昭和34年)5月に再建に成功しています。

この「出雲大社・拝殿(御仮殿)」は、平成20年(2008年)から平成25年(2013年)まで、

御本殿の改修工事が行われている期間は、御本殿の周囲には入ることができませんでした。

そのため、平成20年に御神体を御仮殿(おかりでん)に遷す「仮殿遷座祭」が行われて、
平成25年5月までは、従来の「拝殿」を「御仮殿」と定めて、そこに御神体をお祀りして

いました。そして、御本殿と瑞垣内の修理が完了した後、平成25年5月10日の新月の夜7時

から御神体を御本殿に遷す「本殿遷座祭」が行われ、「御仮殿」は元の「拝殿」に戻りました。


   


 
  拝殿の後ろに回ると 八足門があり 御神殿の屋根が見えています。


 
 八足門


  
 出雲大社・八足門は拝殿(御仮殿)の奥に位置します。この八足門の内側が出雲大社

御本殿となり、すなわち御祭神である「大国主大神」が御鎮座されています。一般の参拝者は
この八足門の前で「2礼2拍手1礼」の参拝を行います。

八足門の奥には通常は入ることができませんが、正月三が日、祭典などの特別な日や、ご祈祷

を受けた人のみ八足門の内側へ入ることができます。八足門の前は玉砂利ではなく「床」になっています。

大きな円の中にさらに大きな円が3つ描かれています。これは平成12年から13年の間に行わ

れた出雲大社境内遺跡の発掘調査でなんと!スギの大木3本を1組で括りつけた巨大な1本の

柱が発見されており、すなわちこの柱が過去、この八足門前の床の下に埋まっていたと言う

ことを示しているものです。 この巨大な柱の直径は、約3mにもなり、この八足門前だけ

ではなく合計で3カ所も境内で発見されています。

  
  
  八足門の前で「2礼2拍手1礼」の参拝をします。


  
  御守所


  


  


 


  
  橋を渡り神楽殿へ。


  
  「一月一日」歌碑 楽殿横に設置されている歌碑は出雲大社第80代宮司千家尊富氏が作詞した唱歌
「一月一日」です。千家尊富氏は宮司を退いてからは埼玉、静岡、東京の知事を務め、
司法大臣になった人物で、詩人、歌人としても有名です。


         一月一日

       年の始めのためしとて

         終りなき世のめでたさを

       松竹立てて門ごとに

         祝ふ今日こそ楽しけれ


       初日の光差し出でて

         四方(よも)に輝く今朝の空

       君がみかげに比(たぐ)えつつ

         仰ぎ見るこそ尊けれ


         第八十代出雲大社宮司
          出雲大社教初代館長

               千家尊福公 詠


  
  神楽殿 御守所。


      皇后陛下御歌 出雲大社に詣でて

     国譲り 祀られましし 大神の 

          奇しき御業を 偲びて止まず

                 ( 平成十五年十月三日 )



  
  神楽殿 大注連縄 ( おおしめなわ ) は、5日前の、2018年7月17日に
 取り替えられたそうです。数年ごとに交換されるこの「大しめ縄」は
 島根県飯南町を舞台に1年以上の歳月と延べ1000人の町民の手に
 よって作られています。重さ4.5トン、長さ13メートル、胴回り8メー
 トルという、ものすごい迫力があり、日本一の大注連縄で有名です。


   
  大しめ縄には、一時期お金を投げる人がいたそうですが、大国主命
 祀られた出雲大社のしめ縄に、お金を投げるのはとても失礼なことである
 とのことで、今では投げても刺さらないように、しめ縄下の部分に保護の
 ための金網が設置されています。

 下から写しましたが余りの大きさにカメラからはみだしてしまいました。
   

 
 神楽殿(かぐらでん)
 出雲大社境内を西の門から出て川を渡ったところに神楽殿があります。本殿と
同じように朝夕のおまつりの他、御神楽や御祈祷が奉仕されます。
 神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のため
大国主大神を本殿とは別におまつりしたことに由来します。現在の神楽殿
昭和56年に造営されました。その大広間は270畳敷きの広さをほこり、神社建築
にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われています


         
         日の丸の国旗
   出雲大社の神楽殿の前には大きな日の丸国旗が立てられています。
   畳75畳分の大きさがある日本一の日の丸の国旗は、平成15年に
   「島根県森林組合連合会」から寄進されました。
   以前の日の丸国旗は、1936年(昭和11年)に出雲大社近江分祠の
   此花健児隊と健女隊によって寄進されたものだそうです。
   あまり大きさに気付きにくいのですが、実はなんと!出雲大社
   神楽殿の国旗は「日本一の大きい日の丸国旗」だと言われています。

     国旗掲揚柱(ポール)の高さ:約47m

     日の丸国旗の大きさ:畳(タタミ)75枚分

     日の丸国旗の縦横の長さ:縦9m×横13.6m

     日の丸国旗の重さ:約50kg

     日の丸国旗のポールの材質:コンクリート

       日の丸国旗のロープの材質

     日の丸国旗の材質:アクリルバンティング(エクスラン)

     日の丸国旗の製造会社:平岡旗製造株式会社

   この国旗掲揚柱の高さは、中古の時代にかつて存在した出雲大社
   御本殿と同じ高さになるそうです。


   
   千家国造家 永職館  
   こちらは 代々続く 出雲大社の 宮司さんの お住まいです。


    
    桧皮葺の門横の大きな木の下の ウサギさん。


  


  


  
  出雲国造 千家国造館  永職館 正面の御門


  


  


  


  
 13:00  観光センターいずも 到着。
        お見事、ピッタリと30分のガイド ( 案内 )でした。


   


  


  



  


        


  
  食事を済ませ、お土産を買い出発まで約30分余りの余裕があるので
  出発時間に遅れないように、一人で鳥居巡りに行ってきます。


  
  勢溜(せいだまり)の正面鳥居の近くまで来ましたが ・・・・・・・・・。


  
  あらまあどうしたこでしょう、第二鳥居 ( 木の鳥居 ) が見えません。



 
 第二鳥居 は建て替え工事を中の様です残念。


 
 ここ勢溜の鳥居跡前から、宇伽橋の第一鳥居 ( 石の鳥居 ) が見えますが
 時間が無いので、右側の迂回路から参道へ。


  
  

  
  


   


  


       
       第三の鳥居 ( 鉄の鳥居 )


 


  
  第四の鳥居 ( 銅の鳥居 )


   
   2時40分の集合に間に合うように大急ぎで駐車場へ。


  
  14:18  2号車 ( ちょっと小さい方のバス ) へ乗り込みます。
  14:40  出発時間が来ましたが、2号車の方が1人帰りません。
  やっと連絡が、宇伽橋の第一鳥居 ( 石の鳥居 ) まで行ったものの
  帰りの道が分からなくなり鳥居の傍で待つているそうです。


  
  14:46  出雲大社駐車場出発。お宮通りから左折。


  
  神迎えの神迎えの道 ( 国道431号線 ) へ。  


  
  1号車は勢溜の鳥居跡前信号を直進し島根ワイナリーへ。


  
  2号車は勢溜の鳥居跡前を右折。


  
  神門通り ( 県道161号 ) を宇伽橋の第一鳥居 ( 石の鳥居 ) の側で
  待っている男性が乗車、出発。


  
  堀川
  

  
  堀川に架かる宇伽橋を渡る。


  


  


  


  
  県道161号線を左折、ワイン通り ( 県道28号線 ) へ。


  
  一畑電車大社線ガード下をくぐる。


  
  楽しみにしていた島根ワイナリーに、試飲が楽しみです。