来島海峡海上交通センター・相の谷の古墳・大浜八幡

 海上交通センター・相の谷古墳・大浜八幡神社 ( 2018-05-12 )


 


 
2月の宮脇・衣黒地蔵他は雨天の為、4月のおおげ島周辺はフェリーが
強風で運航中止になりました。本日は御手洗先生の知り合いボランティア
ガイド ( 自称:フーテンの寅 ) さんの身振り手振りの軽妙な話術で楽しく
海上交通センター・相の谷古墳・来島海峡展望館・大浜八幡神社等を案内
していただきました。


  
  9:00  大西支所 集合。


   
   御手洗先生より本日の行程 説明のあと4台の車に便乗し出発。


  


 
 9:23  大西外の集合場所 波止浜「 ダイキ 」駐車場到着。


   
   ガイドさんの紹介。


       
    今治観光ボランティアガイド ( 自称:フーテンの寅 ) さんです。
    今日一日お世話になります宜しくお願いします。


  


  
  9:07  来島海峡海上交通センターへ 出発。


  
  9:36  「 来島海峡海上交通センター 」標識を左折。

 
  


 


 

  業 務 紹 介 
  来島海峡海上交通センターは、大浜、津島に設置された高性能レーダー等により、
 来島海峡航路海域を航行する船舶に対し、船舶交通の動向や気象状況などの情報を
 提供する航行援助業務と、大型船の航路に入る時刻を調整するなどの航行管制業務
 を行っています。

  施 設 概 要
 レーダー装置、高性能テレビカメラ、VHF受信機を装備し、気象観測も行って
 います。また、塔ノ峰送信所、津島潮流信号所、来島長瀬ノ鼻潮流信号所、来島
 大角鼻潮流信号所、高井神島に設置されている各種機器の遠隔監視制御施設です。
 海抜110m
 来島海峡海上交通センターは、塔ノ峰送信所 、津島潮流信号所、大浜潮流信号所
 来島長瀬ノ鼻潮流信号所、来島大角鼻潮流信号所を所管し、レーダーサービスエリア
 内の通航船舶の安全を見守っています。

  案 内 図

  組 織 概 要
 整 備 課:センター業務に必要なレーダー、無線装置、気象観測装置及びその他
       必要機器の保守・機能維持を主な仕事としているほか、管理係を置き、
       センター業務の庶務を担当しています。
    代表電話 0898-31-4992   電話 0898-31-9667
 情 報 課 : 無線放送、ホームページ、電話等により来島海峡航路における巨大船
        の入航予定、気象現況、航行制限、海難の状況等船舶に必要な情報を
        提供しています。
       電話 0898-31-9668
 運用管制課 : 航行船舶に対し、航法の指導、危険回避のための情報提供、大型船
         等の入航時間の調整、その他、来島海峡航路通航に必要な情報提供を
         行っています。
     航路通報受付電話 0898-31-9000 電話 0898-31-9669
         耐震工事も終わり骨太になりました。

     来島海峡海上交通センターは、海上保安庁に属します。船舶との交信では、
     「くるしまマーチス」という呼出名称を使います。      
 マーチスとは、MaritimeTrafficInformationService centerの頭文字です。



  
  9:38  来島海峡海上交通センター到着。


   


   


   


   


  
4階展望所へ。


 
 来島海峡は、1日に平均約500隻の船が通ります。そして、日本の
三大急潮流の一つで 中水道は、最大10ノット( 時速約18km)の
流れとなって、渦潮や湧潮が発生し、航路の一番狭しますいところでは、
400mメートルしかありません。また、春から夏にかけて、霧が発生
して、時には視界が50m以下になる事もあるそうです。


  


 
 燧灘を望む。


  


   


  
  相の谷古墳。


 
 今治市街が見渡せます。

  
  
  近見山。


  


  


  
  時計回りで正面へ。


 
 素晴らしい高性能レーダーを取り付けていているそうです。


  
  来島海峡海上交通センター職員の方からお話しお聞きしました。


  


   
  相の谷古墳一号墳へ行く前にファイル資料のファイル見ながらお勉強。


   
   一号墳からは、青銅の鏡も発見されました。


  
 左、 中国後漢時代の鏡 画像鏡 ( がぞうきょう )
    古墳時代初期   今治市相の谷 一号墳
  中央には左から二羽の鳥と獣の一部が確認できる。その外側には
  「 ( 龍? ) 氏作竟真大□□□山□ 」という銘文が刻まれている。
 右、 国産の鏡 獣文鏡 ( じゅうもんきょう )
    古墳時代前期   今治市相の谷 一号墳
  画紋帯神獣鏡 ( がもんたいしんじゅうきょう ) という中国製の鏡をモデル
  にして倭で制作されたもの。保存処理の結果。四体の鳥をモチーフ
  にしていることがわかった。


  


  


  
   相 の 谷 古 墳 群
  海峡と灘をのぞむ海の王者たち
  相の谷古墳群は、来島海峡( くるしまかいきょう ) 燧灘 ( をひうちなだ ) を見渡すことが
 できるできる丘陵上に営まれています。一号墳は、昭和 四〇 ( 一九六五 ) 年、地元の学生に
 よって発見され、そのご、愛媛県教育委員会今治市教育委員会によって発掘調査が行われ
 ました。その結果、古墳時代前期 ( 四世紀 ) の巨大な前方後円墳 ( 全長約 八二メートルは
 県下最大 ) で、墳丘は二段に築かれ、まわりに埴輪 ( はにわ ) がならべられていたことが
 わかりました。
  また、後円部に設けられた長大な石棺の中から、中国から輸入された銅鏡や国産の銅鏡の
 ほか鉄刀など、豪華な副葬品が出土しました。
  一号墳を北側にくだる二号墳は、まだ詳しくしらべられていませんが、前方後円墳 ( 全長
 約 五三 メートル ) であり、一号墳に続く有力者のものと考えられています。 
 古墳の立地・規模や副葬品の内容から、相の谷古墳群に葬られた人たちは、古墳時代に活発
 化した瀬戸内海交通の要衝を支配した地域勢力のリーダーであったと考えられています。


    


   
   現在地より点線に沿って相の谷一号墳まで歩きます。


   
   10:08  相の谷一号墳へ出発。


   


  


  


  


  


       
       仁譽上人の石塔。


  
  一号墳へ。右からも左からも上ることができます。


  


  
  1号墳へ。


  
  ここは1号墳の前方後円墳の前方墳部分。


  
  1号墳の前方後円墳の円墳へ。


  


   


   


  


    


  
  竪穴式石室の跡です。


 
 標高63.3mの山頂・円墳の上より燧灘を見渡すことができます。


  


  


 


  


  


  


  


  


  
  10:30  全員到着。


  
  10:32  来島海峡海上交通センター 出発。


  


  
  10:42  マリンパーク 王浜 浜の台所 潮里( シオリ ) 到着。


    
   今日のお昼は 今治市砂場町の公園 内 潮里( シオリ ) さんで
  「 鯛めし 」を買って次の目的地へ出発の予定でしたが・・・・・・・


   
   鯛めしの予約を入れて無かったの買えない方もいます。
   今から鯛めしを焚いてくれるそうです。


 
 予定を変更、車で糸山展望公園へ行き、歩いてここまで帰り昼食。


   
   10:58  それぞれの車に便乗してマリンパーク 王浜 出発。


  


  
  糸山トンネル。


  
  11:05  糸山展望公園 到着。


 


 


 
    瀬戸内海国立公園  来 島 海 峡
 ここ 来島海峡は、日本三大急潮の一つに数えられ、最大時速10ノット ( 約18Km )
 にも達し、各所に白く逆巻く大渦を生ずる。
 古くは来島水軍が活躍し、現在も海の銀座と呼ばれるほど多くの船舶が行き交う。
 また、海の幸の宝庫としても知られ、急潮で育った魚介類の味は格別である。
 この海峡をひとまたぎする長い大橋は、世界初の三連吊橋で瀬戸内海国立公園でも
 屈指の多島美と現代文明のおりなす新たな景観をつくり、感動とロマンを与えてくれる。   

   来島の 瀬戸のうず潮 
        とどろとどろ 
           たかなる聞けば 雄心の沸く      吉井 勇


  
  「 しまなみ海道 」が一望できる場所に 越智伊平翁  顕彰碑は
   建てっています。
  

   
     越智伊平翁  顕 彰 碑  ふるさとを よくしょう

     碑 文
   越 智 伊 平 翁  ( 一九二〇 〜 二〇〇〇 ) 今治市玉川町鈍川出身
   今 治 市 名 誉 市 民   正 三 位 勲 一 等 旭 日 大綬 章
   元 建 設 大 臣   運 輸 大 臣   農 林 水 産 大 臣
    翁は今治市議会議員、愛媛県愛媛県議会議員、同議長を経て、衆議院議員
   連続十期、二十八年間国政に参画。
    その間、内閣にあっては、環境政務次官、労働政務次官を歴任し、のちに
   三度にわたる入閣を果たした。衆議院にあっては予算委員長をはじめ議院運営
   ・大蔵・運輸の各委員長等の要職を歴任した。多年にわたり国家の重責を担い
   「 大衆とともに歩む 」を政治信条として、生涯変わることのなかったその
   姿勢は多くの人々から敬愛された。
    また、社会資本の整備が遅れていた四国の基幹交通体系整備の推進に大きく
   貢献し、当地域においてもしまなみ海道の建設、国道三一七号「 水ヶ峠 」
   の開通等、郷土の発展に尽くした数限りない功績は衆目の知るところである。
    なかでも、建設大臣として、長年の悲願であった「 瀬戸大橋 」の開通を     
   行うとともに、長らく凍結していた来島海峡大橋の建設着工を実現し、
   しまなみ海道の 全線開通を現実のものとしたのである。
    美しい瀬戸内海の島々や、緑の山々に囲まれたふるさとをこよなく愛した翁の
   志を永遠に讃え、政治生命をかけた しまなみ海道 が一望できるこの地に
    顕彰碑を建立する。
        平 成 十 八 年 十 二 月 吉 日


  
  11:18  糸山展望公園 出発。


  
  糸山トンネル。
    延長 136m。  幅 10.75 m。  高 4.5 m。


  


  


  
  瀬戸内海横断自転車道


  


   
   一度原付バイクで島めぐりをしてみたいと思います。


  


  


  


  
  11:32  サンライズ糸山へ。


  


 
 サンライズ糸山ロビーからの風景。


  


   
   風のレストラン。


  
  11:38  サンライズ糸山 出発。


  
  以前、この先に河津桜の名所がありましたが。


  
     河津桜のご案内
   河津桜は、サンライズ糸山拡張整備工事のため、
   工事終了まで大谷墓園に仮移植しています。
   整備工事終了後、敷地内に再び移植する計画です。
   なお、一部はこの下の海岸沿いに移植しています。
               今治市産業部観光課


  
  素晴らしい河津桜の名所でした。


  
    ⇒ 2014年3月16日、サンライズ糸山の風景。  
    ⇒ 2015年2月27日、サンライズ糸山より。
    ⇒ 2016年2月16日、大浜漁港・サンライズ糸山より    
     河津桜サンライズ糸山の風景ですクリックして見てください。


   


   


  


  
  11:46  マリンパーク 王浜 到着。


 


    
     鯛めしで早速お昼にします。


  


  


   


  


  
  楽しいお昼の風景です。
 

 
 花より団子で・・・・・・・・・・・・・・・まわりの景色は後回しになりました。


 


 
 来島海峡 潮流体験船 乗船場所はこの下です。


 


 


  
  12:23  集合、次の訪問地 大浜八幡についてのお話。


  
  12:25  マリンパーク 王浜 出発。


 


  


  


 
 防波堤からの風景。


 


 


 
 防波堤の間から砂浜へ。


 
 清々しい風景に 感激・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  


  


  


  
  大浜漁港。


  
  大浜八幡前


  
  新道の前に建つ大鳥居。


  
  旧道の前に建つ鳥居。


  
  この鳥居は奉納した方の名前がありません。
  お祭の音頭に名を残しているそうです。


  


  ⇒ 2013年1月3日、大浜八幡神社へ 孫 と一緒にお参りしました。 
     クリックして見てください。


  
  最初の石段を上り境内へ。


  
  杵築神社 ( きつきじんじゃ )    
     祭神  大穴牟遅命 ( おおなむちのみこと 大国主命 )


  
  潮冨貴神社 ( しおふきじんじゃ )
     祭神  瀬織津姫 ( せおりつひめのかみ ) 他三柱


  
  手水舎


   
      大 濱 八 幡 大 神 社
 一 祭 神  主神  乎 致 命 ( おちのみこと )
        相殿  鏡速日命・天道日女命仲哀天皇応神天皇
           神功皇后武内宿禰市杵島姫命大穴牟遅命
 一 由 緒  創立は遠く上古に溯り乎致命九代の後裔乎致足尼高縄の創建したもの
       にて応神天皇の御代小千国造に命ぜられ此の大浜の地に館を造り東予
       地方 ( 中世の道前五郡 現在の 越智郡今治市より 周桑に及ぶ地域 )
       を開拓した乎致命を祖神として斎き祀り大濱宮 ( 王濱宮 ) を号し
       壱千七百余年以前に未開の地を開拓せられた神を敬慕して御祀りした
       ものにてしたものにて伊予一国の中心門族越智・河野氏産土神なり。
       天智天皇の祖神門島神を遷座饒速日命天道日女命を合祀し仁和元年
       神位従五位の下を賜う。
       貞観元年宇佐八幡宮より八幡神を観請して大濱八幡宮と改め壱千壱百余
       年の間暦代の国司崇敬厚く守護職河野氏を初め武将の崇敬深く海上史に
       有名なる瀬戸の海賊衆は八幡大菩薩を斎き祀り一国の鎮守或は一の宮
       稱える。今治城築城以来明治四年に至るまで産土神として藩内第一位の
       神社として尊崇され毎年大祭には神輿登城し神典の執行が恒例となる。
       藩政時代には今治藩主の氏神として今治藩士の祈願所として今治町・
       越智郡の大氏神と崇められる。
       明治維新に際して社禄を廃せられ且つ今治町は氏子中より分離し明治四年
       社名を郷社大濱八幡宮と稱え 明治大正を経て昭和十二年十月県社に列し
       昭和十五年四月乎致命神裔 同族会を組織し翌年神苑中央に越智氏族発祥之
       碑を建立する。
       昭和二十一年宗教法人として発足し東予地方開拓の神として武神として
       郷土繁栄の産土神・除災開運・家運繁栄・海上安全などの祈願所として
       光輝している。
                  ( 大濱八幡大神社 案内板より )


  


       
        乎 致 命 ( おちのみこと )   顕彰文
  史に曰く 乎致命は 鏡速日命の 十代目に当たり 七歳の時に 応神天皇より 
 伊予国 小市の国造りに命ぜられ この大濱の地に館をかまえ南海に武威を示し 
 東予地方を開拓し徳を施し 内外に皇威を輝かされた
  命は 日本六十余州 越智氏族の祖であり その氏神として 此こ大濱の地に
 鎮座され 人々の崇敬を集めている 以来壱千七百余年の間に氏族は全国に広がり
 繁栄している
  この度 命の御姿を建てるのは 命の御神徳を称えると共に 氏族又産土の方々に
 神恩無窮と敬神崇祖の美風を呼び起こし報恩の日々を送って頂きたい為である
                   撰文  宮司 檜垣 荘次
             ( 乎致命 ( おちのみこと ) 像台座の  顕彰文 より )


  


 


  
  拝殿。


  
  拝殿内陣。


   
    山本雲溪画  「 大浜八幡神社祭礼の図 」


   
   今治風早の生まれ 沖 冠岳画 「観刀図」


   
   「 御用商人寄進の船模型 」


  


   


  
     大 濱 八 幡 大 神 社 ( 御祭神 )   
 乎致命 ( おちのみこと ) 
   東予地方 ( 今治市越智郡西条市新居浜市に及ぶ ) を開拓して郷土繁栄の
   基礎を築いた神で、越智・河野・矢野・村上・伊藤氏等 百有余氏の祖である。
   ご神徳は厄除開運・家運繁栄・社運繁栄・海上安全等。

 鏡速日命 ( にぎはやひめのみこと )
   十種の神宝を賜り、大和を統治した神、大王と呼ばれる。
   ご神徳は諸願成就・五穀豊穣・病気平癒等。

 天道日女命 ( あまじひめのみこと )
   鏡速日命の后で、尾張氏の祖神とされる天香山命の母。

  仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう )
   応神天皇の父で、自ら軍を率いて現地に向かう武神。

 応神天皇 ( おうじんてんのう )
   日本文化の基礎を築き、日常生活の守護神として、国家仏教の守護神として、
   八幡大菩薩と呼ばれ、八幡信仰のご祭神となる。 
   ご神徳は国家鎮護・家運隆昌・成功勝利・悪病除災等。

 神功皇后 ( じんぐうこうごう )
   母神でありながら武神としての性格を持ち、聖母大菩薩と呼ばれ八幡信仰の
   ご祭神となる。
   ご神徳は安産・子育て・武芸上達・家内安全・開運招福等。

 武内宿禰 ( たけうちのすくね )
   伝説では、実に三六〇歳という長寿を誇り、景行天皇より仁徳天皇まで、
   五代の天皇にわたって仕えた神と言われる。
   ご神徳は延命長寿・立身出世・商売繁盛・試験合格・勝負必勝等。

 市杵島姫命 ( いちきしまひめのみこと )
   天照皇大神の御子で、海上を守護する女神、仏教の弁財天と同一視され、
   海上安全・豊漁・商売繁盛・知恵・財福・子孫繁栄の他・音楽・技芸
   など芸能に関する神。


  
  話し上手に‥‥‥引き込まれ‥‥‥聞き上手になりました。


  


  
  大濱八幡大神社神殿。


   

  
  
  ぐるっと時計回りに境内を歩き石段を降ります。


  


       
      日 本 最 大 の 海 賊" の 本 拠 地 芸 予 諸 島
  ― よみがえる村上海賊 Murakami KAIZOKU " の記憶 ―
        the story off ` Murakami KAIZOKU
戦国時代、宣教師ルイス・フロイスをして ゛日本最大の海賊 " と言わしめた 「 村上海賊 」   
 ゛Murakami KAIZOKU " 理不尽に船を襲い、金品を略奪する「 海賊 ( パイレーツ ) とは
対照的に、村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支え
海上活動を生業とした。その本拠地「 芸予諸島 」には、活動拠点として築いた「 海城 」
群など、海賊たちの記憶が色濃く残っている。残って尾道今治をつなぐ芸予諸島をゆけば、
急流が渦巻くこの地の利を活かし、中世の瀬戸内海航路を支配した村上海賊の生きた姿を
現代において体感できる。


 


    
      大浜八幡宮造営棟札 ( 大浜八幡宮 蔵 )
 来島城の城下町として古文書の記録に登場する大濱地区に鎮座する大浜八幡大神社。
 同社に伝わる1524 ( 大永4 ) 年の造営棟札には、「 在来島城村上五郎四郎母 」
 の文字が記されており、村上海賊が来島城に在城していたことを確実に示す、初見
 資料として有名である
          村上海賊魅力発信推進協議会
          ( 愛媛県今治市広島県尾道市 )


   


 
     伊藤博文公顕彰の辞
 一世の大政治家たる博文公は、越智氏族の出身。
 公の出現で越智氏族の系譜は一段と光彩を放つ。
 公は尊皇攘夷・討幕・啓蒙革新の時代に生まれ、松下村塾に学び、夙に開国論を
 主唱し明治維新の偉業に身を投じた。
 維新後は、明治天皇御信任の下、アジアで最初の立憲君主制憲法を起草するなど
 公の功績は枚挙にいとまがない。
 晩年になっても東亜永遠の平和を布石せんと向寒の満州に歩を運び、図らずも
 ハルピン駅頭にで凶弾に斃れた、惜しみて余りある。
 この地に公の像を建つるは、越智氏族神裔の方々の誇りと、公の偉業を後世に
 知らしむためなり。
                  選文 宮司 桧垣荘次 


   
   溜め池の横を歩き・・・・・・・・・・・・


  
  大きな溜め池を右に眺めながら・・・・・・・・・・・・


   
   越智氏族発祥の地へ。


       
       越智氏族発祥の地 碑は石段の上に建っています。


 
 広々とした大浜八幡大神社の大きな溜め池。


  
  真ん中の赤い橋を通り境内へ。


   
   お池のカメさんは一匹だけ甲羅干しをしていました。


  
  参道上、注連石の前で。


  
  参道へ下りると左側に社務所があります。


  


 


    
  ここは砂浜へ下りた堤防のある所です。


  


  


 


  
  13:39  マリンパーク王浜ヘ ( 昼食を食べたところです ) 
 自動車を糸山展望公園に置いているので運転手さんは歩いて糸山展望
 公園迄行って車でここまで帰ってきます ( ご苦労さまです )


  
  次回 6月9日の歩こう会 朝倉・笠松山について御手洗先生の説明の
  の後現地解散。


  
  沖を行き交う船を眺めながら迎えの自動車を待ちます。


   
   14:09  私の乗り合わせた車が来ました。
 お話上手なガイド ( 先生 ) さんの案内で今日はとっても楽しい歩こう
 会でした有り難うございました。私達の車は一足先に失礼します。
 本日の歩いた距離・・・6.2Km。   歩いた歩数・・・9451歩。