史跡巡りウォーキング  

           ~ 大西町・九王 ~

 

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     今回12月の史跡巡りウォーキングコースは、私達の町 大西町・九王地区

    です。① 九王地蔵堂からコースに沿って⑨ 排水路竣工記念碑迄、さらに

    5kmコースは鴨池海岸公園駐車場へ。知らない御堂 ( 史跡 ) などもあり

    あらためて史跡の勉強をしながらの楽しいウォーキンクでした。

        史跡巡りウォーキングマップ  ⇩  クリックすると拡大します。 

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        史 跡 巡 り ウ ォ ー キ ン グ

         ~ 大西町・九王 ~           12月9日 ( 日 )

      9:25  受け連れ開始

        9:40   クアハウス今治   出発

        10:10  藤山健康文化公園  到着 ( トイレ休憩・準備体操 )  

             ウォーキンクスタート地点へ、バス移動  

       10:40  九王地蔵堂より、ウォーキンクスタート 

       12:00  ウォーキングゴール  

            3km ゴール → 新来島どっくグランド 駐車場  

           5km ゴール → 鴨池海岸公園     駐車場 

       12:10  藤山健康文化公園  到着  ( 昼食・休憩 )   

       13:00  藤山健康文化公園  出発   

       13:30  クアハウス今治   到着   

       15:30  クアハウス今治より、市内循環送迎バス 出発 

 

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     9:50  大西支所集合  10:00 藤山健康文化公園へ出発

       ( 9:47 クアハウス今治より集客の2号車最後に大西支所到着 )

 

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    10:07  藤山健康文化公園 西駐車場 到着 ( トイレ休憩・準備体操) 

 

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     多目的芝生広場へ 

 

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    準備体操

 

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    5kmコースより、ウォーキンクスタート地点へバス移動。

 

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   県道15号線  ( カーブをしたところ白壁の塀が九王地蔵堂ウォーキンクスタート地点 )

  

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     10:50  九王地蔵堂路側帯 共通スタート地点 到着

 

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     九王地蔵 ( くおうじぞうどう ) 今治市指定文化財

    天保6 ( 1721 ) 年、左甚五郎の流れを汲む阿波大工 ( 弟子 ) によって、建てられたと伝え

    られている。 建築様式は唐様で、斗栱 ( ときょう・軒を支える組み物 ) の組立て構造も その

    各々が相調和し、木鼻の龍、唐獅子をはじめ、頭貫 ( かんぬき ) 等に施された彫刻も素晴らしく

    そりのある屋根の勾配の美しさを中心に、堂全体の調和も見事である。正面の梁の彫刻、格子

    天井など、非常に手の込んだ作りとなつている。

     昭和51年から解体大修理に取りかかり、52年春に完成した。

       ここは 野間郡四国八十八ヶ所 第二十六番札所です。

    ※ 毎年5月の春祭りには境内において継獅子が披露されます。        

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    藩政時代のいつの頃か地蔵堂の参拝者がたくさんふえ賽銭が多く集まったので、そのお金で
    堂を建てることを松山藩の役人に願い出たが農民に倹約を進めていた時代で許可が出にくかった
    ので、葬式の線香場として必要であることを理由に願いでて許可を得たともつたえられています。
 

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    格子天井絵。

 

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     地蔵尊

      堂の中に三体の地蔵尊が祀られており、正面に三界万霊、左側に享保6 ( 1721 ) 年、

      辛丑 ( かのとうし ) の年、右側に野間郡九王村願主御十人造立とある。

      この地蔵尊は、九王村の庄屋の霊を弔うために造られたともいわれる。

  

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    5km コースに続いて、3km コースと続きます。

 

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    九王海岸へ。

     5月の春祭りには、ここ九王海岸で大西町 九王 船上継獅子が披露されます。

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      ↑ D d.hatena.ne.jp クリック 

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    山沿いの狭い道を龍神社へ

 

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      海中の鳥居

 

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    龍神 ( りゅうじんじゃ )

  伝説によると、昔 神武天皇の東佂の砌、この辺りで激しい嵐にあつたが、龍神助けで無事九王の

  浜ヘ難を避けることができたため、八王龍王と海神をこの地に祀ったのが、龍神社の始まりとされる。

  その後 天皇も合わせて祀ったので、八王に一王を加え、九王の地名が誕生した。

  雨の神、海の神、農業の神として、農民の信仰が厚く、松山藩の雨乞いの祈祷所として、霊験を顕わ

  している。

  5月の春祭りに行われる船上継ぎ獅子は、宮出しをした神輿が船で対岸へ渡る間にお供しながら船上

  で行われるもので、江戸時代に始まり、現在まで200年以上も受け継がれており、大変有名で、

  多くの見物客で賑う。

  ※ 平成三年九月の台風により、本殿、拝殿悉く流失 依って 氏子及び町内外の崇敬者有志の寄附

   より再建される ( 本殿、神殿はおろか石垣ごと流され何も無く岩肌が剥きだしだったそうです )

 

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    今は朽ち果ててしまった昔の別荘。

  

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    県道15号線 ( 九王第1踏切前 ) を右折。

 

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     県道15号線沿い ( 九王第4踏切を左折 ) 

 

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      九王第4踏切 ( 内方踏切) を渡ります。

 

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      五右衛門新田開拓碑 ( ごえもんしんでんかいたくひ )

    安芸国 広島藩の家老てあった桧垣五右衛門は、あることにより藩主の怒りにふれ、国を

     追われ浪人となり、寛永15 ( 1638 ) 年に、妻子とともに波方村の庄屋で富豪の長谷部

     家に寄居することになった。

      五右衛門は前々から新田開発に関心を持ち、よく研究もし、暇をみて新田開発の適地を

     求めた。そして、苦心の末、九王村に開拓できる広い土地を見つけた。

     当時の九王村は農地が少なく、農民たちは貧しい生活をしていた。

     その後、九王村に居住を移し、なかなか村人の賛成と協力が得られないなか夜になると

     一軒一軒の家を訪ねて、開拓の目的や方法について、熱意を込めて詳しく説明して廻った。

     五右衛門の計画の正確さと誠意に動かされ、村人の協力が得られることになり、工事に

     着手した。機械の無い時代の土木工事は大変な労苦と時間を要した。村人とともに、辛苦、

     惨憺、困苦、欠乏に耐え、寛永17 ( 1640 ) 年三年がかりの大工事は完成し、新田の開発に

     成功した。村人たちはこの開拓地を「 五右衛門新田 」 と名付け、その恩恵を受けてきた。

     その偉業をたたえ、明治32 ( 1899 ) 年に記念碑を建立した。

 

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     富山八幡大神社へ。

 

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           富山八幡神社 ( とみやまはちまんじんじゃ )

      九王冨山にあり、旧村社である。 文武天皇慶雲 4 ( 707 ) 年、国司越智玉純が

      勅を奉じて、安芸国厳島大明神を、伊予国八ヶ所に勧請した中の一社である。

      後醍醐天皇の延元 元 ( 923 ) 年、国司伊予守が勅を奉じて、豊前国宇佐八幡宮

      勧請し合祀したことにより、富山八幡宮と改号した。

        ( 今日は上の神社へは行きません大鳥居前でUターン )  

 

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    県道15線へ。

 

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    ⑤ 本瀧院・金毘羅さん

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     本瀧院 ( ほんりゅういん ) 

      向かって右が本瀧院で、野間郡四国八十八ヶ所第二十五番札所です。宗派は天台宗で、

     本山は近江 ( 滋賀県) 圓城寺である。   本尊は十一面観音で、河野通清の嫡子通信が、

     船軍大将として出兵する際に船魂十一面観世音菩薩を彫刻し、戦勝の祈願をして当寺に

     安置し、崇拝したといわれる。

 

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     金毘羅神社 ( こんびらさん ) 

    祭神  金毘羅大権現

    もと向山の金毘羅山に祭られていた。絵馬は幕末、灯籠は明治初期の作である。

                                 昭和52年再建

 

     
     金毘羅さん内陣。


          


    
上の絵馬は 慶應 4 ( 1868 ) 年に奉納されたようです。


        
         こちらの絵馬は 元治 元 ( 1868 ) 年、の奉納。


    
    いちばん大きな この絵馬も元治 元 ( 1868 ) 年、の奉納。

              ( 神社内陣・絵馬は1016年5月28日、史談会歴史探訪より ) 

 

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      小坂大師堂

   

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     子供の病気が大流行したときに、病気封じのために お大師さんを勧請し、お祀りする

    ようになったそうです。                昭和53年改築

 

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     藤ヶ埼地蔵堂の裏側へ

 

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      藤ヶ埼地蔵

 

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     藤ケ埼地蔵 ( ふじがさきじぞう )     

      左右 二体のお地蔵さま、左は 享保年間 ( 1716~1735 )、右は 寛永 2 ( 1749 ) 年。

      藤ヶ埼の人々の安全と健康を守ってくれるお地蔵さんとして、大事に祀られています。

 

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     厄除地蔵    

      お堂の前のお地蔵さんは踏切の安全と列車事故で亡くなった子供の霊を慰める

      厄除地蔵です。

 

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    民家の前に下りる。

 

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     藤ヶ埼踏切り左折

 

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    県道15号線を横断 

 

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    向山地蔵堂

 

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        向山地蔵堂

 

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       本尊  地蔵菩薩

       五穀豊穣。雨乞いのお地蔵さんで 九王では 作地蔵、水地蔵と呼んで

        崇拝されている。             昭和53年 ( 1978 ) 改築

 

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    3km コース ウォーキングゴール地点 来島どつくグランド駐車場

 

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   排水路竣工記念碑 

     九王地区は低地のため たびたび水害に見舞われていた。当時九王在住の一色政道技官が

     排水路を設計し、昭和25年 ( 1950 ) 竣工した。以後は水害は起こらなくなった。

    (3km コースは 来島どつくグランド駐車場ヘ・ 5km コースは鴨池海岸駐車場へ )

 

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     鴨池海岸

 

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    正面に弓杖 ( ゆずえ ) 島と左側の沖の島は怪( け) 島です。

     

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    見る角度によって島の位置が変わってきます。

 

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     鴨池海岸公園を右折

 

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     11:55  鴨池海岸駐車場 到着

     12:00  全員集合を待って鴨池海岸駐車場 出発 

 

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    12:08  藤山健康文化公園西駐車場到着 ( 昼食・休憩 )

 

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   それぞれに日本庭園などで昼食のお弁当を。

 

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    皆廻池

 

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     12:55  健康文化公園西駐車場 出発。

 

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    県道15線を波方回りでクアハウス今治へ。

 

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      13:37  2号車クアハウス今治 到着。

 

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     温泉で疲れを癒した後休憩。

 

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     15:30  市内循環送迎バス クアハウス今治 出発。

 

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      16:15  太西支所 到着。

    本日の歩いた距離・・・ 7.8 km。  歩いた歩数・・・ 10043歩でした。