大西史談会研修旅行 ・ 旧閑谷学校 ( 1 )
特別史跡 閑 谷 学 校
閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年 ( 1670 ) に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。 始めて閑谷の地に来館した池田光政は、「 山水清閑、宜しく読書講学すべき地 」と称賛、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのです。この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は、約30年かけて、元禄14 ( 1701 ) に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅固で壮麗な学校を完成させました。 平成27年 ( 2015 ) 4月には「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、咸宜園跡などとともに最初の日本遺産に認定されました。学ぶ心・礼節を重んじた近世の教育が、近代化の原動力となり、現代にも受け継がれていることが認められたのです。開校以来、講堂の床に正座して論語を学ぶ姿は旧閑谷学校の伝統です。今日もここに学ぶ研究生の論語を朗誦する声がこの谷に響いています。
6 : 45 大西公民館集合 7 : 00 出発 参加人数 48名
いずみ観光 ( 株 ) 渡部 信吾 運転手さんです ( 安全運転で頑張って下さい
ます。よろしくお願い致します )
今治駅前にて10名乗車。
7 : 20 今治駅出発。
大西史談会 村上 勝正 会長の挨拶のあと、資料 ( 国宝・旧閑谷学校・
岡山城・後楽園 ) についてのお話がありました。
8 : 30 豊浜 S A 到着 トイレ休憩
8 : 45 豊浜 S A 出発
高速道路から眺めた讃岐富士。
瀬戸大橋 横断中。
和気 I C へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閑谷川に架かる椿橋を渡り、国宝・閑谷学校へ向かいます。
泮池に架かる小さな石橋を渡ります。
校門 ( 鶴鳴門 かくめいもん )
屋根は備前焼の本瓦葺、棟に鯱を載せた正門。
閑谷学校の正門で石橋と聖廟を結ぶ中間に位置します。
受付
3人のガイドさんが紹介され3班に分かれ分かれますが、その前に記念写真を。
講堂 ( 国宝 ) をバックに全員で記念写真 ( 因みに私は入っておりません ) 。
私達3班のガイドさんは、まだ新米のママさんガイド( 自己申告 ) さんです。
校 門 ( こうもん )
聖廟の正前に位置し、閑谷学校の正門、そして聖廟の表門でもあります。
江戸時代、門の正面には「 学校 」の木製扁額が掲げられていました。建築年代は
十七世紀後期から 十八世紀初頭と考えられます。左右に火灯窓をもつ部屋を配し
屋根には 鯱をのせ、入口も 上端の隅を丸めるなど、中国の建造物の影響を受けた
意匠となっています。 門の左右に部屋を配置しているのは、廟門 ( 聖堂の門 ) の
両側に堂舎 ( 塾 ) を設けるという中国の「 東西両塾の制 」を模倣していると考え
られます。 ( 校門内の説明版より )
講堂と左に小斎
重要文化財 公 門
重要文化財 石塀 旧閑谷学校 石塀
校地の周囲約 750m をめぐる石瓶は、南面と東面、西面一部で幅約 1.8 m
高さ約 2m の かまぼこ型に築かれています。巧みに石を組み合わせた独特の塀は
全国的にも珍しいものです。 ( 石塀前の説明版より )
飲室門
右、習芸斎と左側は飲室。ここから中に入り見学。
飲 室
東 隣の習芸斎とともに 1672年 ( 寛文 12年 ) の建築と伝えられ、生徒の休憩に使用
された部屋です。中央に炉が設けられ、炉には炭火以外の使用を禁じた「 斯爐中炭火
之外不許薪火 」の文字が刻まれ、防火に気を配っていたことがわかります。また飲室
は、習芸斎や講堂に行き来する生徒の出入りする場所でもありました。
炉の周りを囲んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
炉には「 斯爐中炭火之外不許薪火 」の文字が刻まれています。
武具室
講堂
書 斎 ( 御殿 )
1677年 ( 延宝5年 ) の建築と伝えられ、藩主が学校に訪れた際の休憩場所です。
床ゃ炉なども設けられています。屋根は小さい板を重ねた「 こけら葺き 」、柱は
「面皮柱」( 柱の四隅に皮を削り残してあるもの ) を使用するなど、茶室風の建築と
なっています。
小斎入口
次の間 ( 二の間 )
湯殿 ( 浴室 )
雪隠 ( 便所 )
3班は習芸斎前集合。
バスは岡山城・後楽園へ向かいます。